2014年3月10日月曜日

「芸術を創る脳」:Ⅲ.なぜマジックは不思議なのか

読書メモ 「芸術を創る脳」 美・言語・人間性をめぐる対話

Ⅲ.なぜマジックは不思議なのか(前田知洋)

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※作曲家・指揮者の曽我大介氏との対談。対談者プロフィールは下記参照。
 →お薦めの本「芸術を創る脳」:音楽・将棋・マジック・絵画

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●抜き書き(番号はページ)

135
前田:(「呼吸型」のマジックでは)お客さんの心の中に生まれるフレーズを常に想像して、マジシャンと観客の心の対話から台詞や動作などを構成しました。…
観客の心の言葉という間を、私はとても大切にしています。

162
前田:昔から日本人は、技芸の奥義を究めることに対して、特別な感性を持っていたようです。例えば、世阿弥の「風姿花伝」や、宮本武蔵の「五輪書」には、芸や技の神髄に関することがとても論理的に書かれています。そこに見られる感性には、「不思議」を味わう感覚と近いものがあります。

166
前田:不思議なことを実現したいと思ったときには、そのためのシステムやメカニズムを論理的に考えなければなりません。その方法に作為が見えないくらいにまで高められたとき、本当に不思議なものが生まれるのでしょう。これがマジックの核心ではないでしょうか。

177
酒井:科学者になりたければ、子どもの頃の「なぜ?」や「不思議!」という感性が一番大切です。…
知識を詰め込むだけの教育は、科学者になるのに必要な感性を鈍らせ、その芽を摘んでしまう恐れすらあります。競争によって知識の吸収を煽るような教育や、インターネット検索で表面的な知識を大量に吸収する学習では、繊細な科学の心は育たないと思います。

前田:私なら、「引き出しを二つ用意しよう」と学生にアドバイスしたいですね。…分かったことは一方の引き出しに… 分からないことや不思議に思ったことはもう片方の引き出しに

180
前田:(霊は信じないが)…しかし、文化として霊を考えた場合、ご先祖のお墓参りをしたり、初詣に行ってお守りやお札を授かったりすることに対して、「科学的に効果がない」と言うのは悲しいことだと思います。(ダ・ヴィンチの時代には、文化や芸術と科学が共存していた…)

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●感想など

観客の心の言葉という間」というのは、ステージで演奏する音楽家にも通じるところがありそうである。芸術の送り手と受け手がしっかり対話ができるということが大切なのではないだろうか。

音楽を聴くほうにとっても、音が鳴り終わったあとの静寂のなかで心の中にしみ込むものを大事にしたい。また、音楽を聴きながら反応する自分の心を感じることも重要だと思う。

そういう意味で、最後の音が鳴り止まないときに、待ってましたとばかり拍手したり、「ブラボー」と叫ぶ客がいることは残念である。

その方法に作為が見えないくらいにまで高められたとき、本当に不思議なものが生まれる」という考え方は音楽も同じだと思われる。「本当に不思議なもの」を「感動できる音楽」と置き換えると、演奏技術が見えている間はまだまだということだと思う。バレンボイムが初めての曲に取り込む方法を思い出した。

二つの引き出しの話は分かりやすくて面白い。私自身は、分からないものや整理できないもの、あるいはつかめそうでつかめない感覚や考え方、そういうものを「そのままの全体」を自分の中に持ち続ける能力がほしいと思っている。

現代は、「文化や芸術と科学」が新しいレベルで共存すべき段階に来ているのではないか、と思う。


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