2014年3月18日火曜日

「ピアノ・ノート」:第5章 コンサート

読書メモ: 「ピアノ・ノート」 第5章 コンサート


■コンサート(演奏)の成功とは何か?

コンサートでの演奏を筆者は「公共演奏」と表現している。そうでないものは、一人で弾いたり、少人数の仲間内でのサロン・コンサートのようなものである。コンサートでの(公共の)演奏の「成功」とはどういうものかを語ることで、「演奏」自体の評価の難しさのようなものに言及している。

その基本にある考え方が2つ述べられている。

一つは、作品には「概念」(音楽的イメージと言えるかも知れない)と実際の「演奏」の二つの形態が存在するという考え方。これはその通りだと思う。ピアニストは、自分自身の「概念」(イメージ)を「演奏」として実体化することに心血を注いでいるはずである。

もう一つは、人が聴いている(と思っている)音の大半は「期待している音」だ、という考え方である。これは、傾向としてはそうだと思うのだが、全面的には賛同しかねる。同じピアニストでも、演奏によっては「いつもの実力が出てないなぁ」とか「バッハはいいけどショパンはイマイチだなぁ」とか感じることがあるのは事実である。

ただ、お金を払ってわざわざ足を運んだコンサートの場合は、「いい演奏を聴いたと思わなきゃ損」という思いが、評価を上げる可能性もあるかもしれないが…。


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ピアニストは作曲家なみの野心をもって、音楽的客体を創出しようとする。…作品には二つの存在形態がある ― 概念と実現形態(演奏)である

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公共の演奏では、無知な音楽愛好家も専門家も同等だ。…コンサートの成功は、たとえば聴き手の集中度によって計れるのではあるまいか(チケットの販売数なども客観的な経済基準としては存在するが…)

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どうしたらコンサートは成功するか?ピアニストが有名であればあるほど聴衆は喜ぶ。…(優れたピアニストが調子の悪い日に凡庸でパッとしない演奏をしても、…喝采をうけるのはなぜか…)

人の耳に聴こえてくるのは、大半が期待している音である。…作品の感覚とパワーの大部分は演奏が不充分でもきちんと伝わるし、辛口の批評家ですら、自分が聴くはずだと思っていたものを聴いたと感じている。



注:緑色の文字は引用部分(数字はページ番号)、赤い文字は私が強調したもの