同時に、学生時代以来遠ざかっていたクラシック音楽を聴き始めた。学生時代(どちらかというと管弦楽曲が多かった)とちがって、今回はピアノ曲、それも独奏曲を中心に聴いている。
いろんな曲(作曲家・演奏家)を聴きながら、「いい音楽・演奏とは何だろう」ということを考えるようになった。
考えるといっても、論理的なアプローチができるわけでもない。なので、「いいなぁ」と感じる演奏を聴いたときに、その理由をぼんやり考えたり、読んだ本のなかにヒントを見つけたときにメモをとったりするくらいであるが。
「いいなぁ」を支えているものには3つくらいあるのだろうと思っている。曲自体、演奏、と聴き手の環境。
ピアノ曲自体
曲自体の「良さ」はかなり重要な要素だと思う。つまらない曲やあまり好きではない曲を、お気に入りのピアニストが上手に弾いたとしても、そんなにいいとは、たぶん思わないだろう。アルゲリッチが「猫ふんじゃった」を弾いたとして「いいなぁ」と感じるだろうか?
ただし、これには少し注意も必要だ。我々が曲を知るのは、誰かの演奏を聴いて、というのがほとんどである。そのピアニストが弾いているもので、その曲自体の「良さ」を判断してしまいがちである。
例えば、私自身の最近の経験でいうと、シューベルトのピアノ・ソナタがある。これまでにも何度か聴いているはずなのだが(たしかにそのいくつかは聴き覚えがあった)、いいと思ったことはほとんどなかった。繰り返しが多くて長くて、きれいなところもあるが全体としては退屈、というのが正直な印象であった。
今回アンスネスの演奏を聴いて(《シューベルトのピアノ・ソナタ》)その印象はかなり変わった。シューベルトのピアノ・ソナタも悪くないなぁ、と思い直したところである。
ピアニストと演奏
ということで、2番目の「演奏」あるいは演奏者(ピアニスト)の要素も、曲自体に負けず劣らず重要だと思う。
1年半前くらいだと思うが、とても面白いこと、というかちょっとしたショックを体験したことがある。その頃の一番のお気に入りだったショパンを、ある(有名な)日本人ピアニストの演奏で聴いた。ところが、これがあのショパンの名曲か?と思うほど「つまらない演奏」だったのだ。
そんなはずはない、と思いながら最後まで我慢して聴いたのだが、けっきょく「がっかり」「残念」の連続で終わってしまった。こんな弾き方もできるんだ、という割り切れない気持ちが残った。
この演奏だけでショパンを聴いていたとしたら、この作曲家・曲を好きになることはおそらくなかっただろう。幸いにして、今はいろんな演奏を聴くことができるので、そんなことは起きないと思うが、演奏自体が少ない現代音楽などには、そういう「不幸」が存在する可能性もある。
ピアノ音楽を聴く環境
最後の「環境」にはいろんな要素が含まれているが、大きくは「音響」と聴き手自身を含めた「TPO」の2つだと思っている。
音響については、録音か生演奏かという違いも大きいし、録音の場合その品質も大きい。生の場合では、楽器そのものやホールの座席の位置でも違うだろうし、CDなどでもスピーカーやイヤホンの違いでも変わってくる。結果として体験できる「音響」は無視できない要素である。経験的には、ピアノ音楽はやはり生で、小さなホールで聴きたいと思う。
TPOでは、どういうシチュエーションでどういう場所で聴くかなども大きな要素だが、「聴き方」というのがけっこう大きな比重を占めるのかな、と最近思い始めている。
音楽と正面に向かって聴くときと、BGM的に聴くときとでは、聴き手の「聴き方」、心の構えとか音楽に求めるものがまったく違ってくるはずだ。なので、一つの聴き方で音楽の良し悪しを判断してしまうのも、もったいない話である。(…と自戒を込めて…)
音楽に多様性があるのと同じで、聴き方・楽しみ方にも豊かな多様性があってよい。
そのことを感じたひとつのきっかけになったのは、最近読み終えた『之を楽しむ者に如かず』(吉田秀和、新潮社、2009)という本の一節であった。
→《読書メモ「之を楽しむ者に如かず」6》
(「演奏における”自由”について」と題する章から)
今度のモーツァルトはいかにも若々しく、若鮎のピチピチ跳ねるさまを連想させるような爽快感に満ちている。…その最大のメリットは、きくものに与える「開放感」である。
内田光子のシューベルトは、私には「きく人との対話を誘発する」ような音楽なのである。
とくに「きく人との対話を誘発する」というのは、「聴く」ことに、受動的ではない双方向のコミュニケーションが存在する、ということである。これは、私にとって新しい考え方である。
…と、とりとめもなく書いてみたが、けっきょく「いい曲」「いい演奏」と感じるのはなぜなのか、というところまではなかなか踏み込めない自分の「浅さ」を思い知らされている。その一方で「楽しめればいいじゃん ♪」という楽天的な自分もいる。
「いい音楽」を考える旅はまだまだ続く…。
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