(数字は引用部分のページ番号、赤字は私のマーク、→のあとは私のコメント)
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402
…ケンプのショパンの見事さをご存知かしら? 彼にはショパンのソナタ二番と三番、それに即興曲、バラード、スケルツォが一曲ずつ入ったCDがある。これは、いわゆるショパンひきのショパンとは一線を画したようでいて、興味深い、いや、本当に立派なショパンである。
→一度聴いてみるか…。
412〜(「演奏における”自由”について」と題する章から)
桐山・武久のコンビのバッハのもつ「自由で、生き生きと呼吸している感じ」…
(ムローヴァのヴァイオリン協奏曲について)…今度のモーツァルトはいかにも若々しく、若鮎のピチピチ跳ねるさまを連想させるような爽快感に満ちている。…その最大のメリットは、きくものに与える「開放感」である。
内田光子のシューベルトは、私には「きく人との対話を誘発する」ような音楽なのである。…実に「自由な」そうして数えきれないほどのこまかなニュアンスにみちた音楽が鳴り出してきている。
→こういう解説を読むと、その演奏を聴きたくなる。「自由」「開放感」「対話」といった開かれた感じは、それだけで心地よい気がする。
440
(ポリーニの弾くシェーンベルクのピアノ協奏曲について)
美しい、楽しい音楽と呼ばれるまでにはずいぶん距離があるけれど、しかし、「これも人生だ」と呼ぶに充分値する内容のつまった、その点で実に興味のある作品になっている。
…こういう音楽に比べたら、肌触りは良いけれど、人生と何の関係もなく、ただきれいに流れる音楽など、つまらない。
→音楽と人生の関係はよく分からないけれど、表面的にきれいではあるがなぜかつまらない演奏にはときどき遭遇する。技術的にはちゃんと弾いているのだが、聴いていておもしろくない演奏にはもっと頻繁にお目に(耳に)かかるような気もする。
443
(イ・ムジチ合奏団によるモーツァルトの《ディヴェルティメント》について)
…当時のきき手には、本当に新鮮な果物を食べるような喜びだったのであって、それは音楽解釈の様式上の問題とか何とかいう以前に、ひたすら音楽の楽しみという点で、ひとを酔わす上場の職人芸の現れだった。
→「イ・ムジチ」、懐かしい名前である。ヴィヴァルディの《四季》なんかは昔よく聴いたものだ。モーツァルトの《ディヴェルティメント》はあまり聴いたことがないかもしれない。いちど聴いてみよう。「新鮮な果物」のような演奏を探して。
[完]
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→読書メモ「之を楽しむ者に如かず」1
→読書メモ「之を楽しむ者に如かず」2
→読書メモ「之を楽しむ者に如かず」3
→読書メモ「之を楽しむ者に如かず」4
→読書メモ「之を楽しむ者に如かず」5
→読書メモ:作曲家・曲・演奏家編1