なんとなく「いい音楽」とか「現代音楽」とかの話。
昨日の夜、暑いせいもあって寝付けず、ひさしぶりにポピュラー系の音楽を夜中過ぎまで聴いていた。聴いたのは、BENIという女性ボーカル。ファンというわけでもないし、自分に合っているとも思わないが、なぜかその声と音楽が気に入っている。
最近のポピュラー音楽で、ほとんどお気に入りの歌手を見つけられない私にしては珍しいことだ。ちなみに、少し前の歌手では、さだまさしのファンではある。
で、聴きながら思ったこと。ポピュラー系の音楽(とくにボーカル系?)では、好きな曲や歌手とそうでないものがわりとはっきりと分かる(判断できる)、それもすぐに。
気に入るポイントはメロディーだったり、歌手(の声や姿)だったりするのだろう。音楽が分かる・分からないという考えはまったく浮かばずに、単にいま流れている曲や音が好きか、そうでもないか、嫌いか、という直感的な判断をしている。
ところが「クラシック音楽」の場合、例えばあるピアノ曲を初めて聴いたときに、すぐにいいかどうかは判断できないことも結構あるような気がする。
というか、ポピュラーと違って、なぜか「好きか嫌いか」という感じ・判断が前面に出るわけではなく、「いい曲かどうか」「いい音楽かどうか」を考えているようなのだ。
もちろん、好き嫌いの要素はある。いま興味を持っている現代ピアノ曲の「収集」も、結局は好き・嫌いで判断していると思う。
であれば、ポピュラーと同じように聴いた瞬間に好きか嫌いか「仕分け」できてもいいはずなのに、なかなかそうは行かないのだ。このあたりは、例えば現代音楽が「分かる」「分からない」という話と関連するのかもしれない。
で、BENIを何曲か聴いたあと、ドビュッシーのプレリュード(ベルガマスク組曲)を聴いてみた。不思議なことに、BENIの曲と同じような感覚で聴いている自分を発見した。この曲は間違いなく「好き」なのだ。
ところで、昨日の午後にたまたまブラームスのピアノ曲を聴いた。そして、ラプソディーを聴いたときに思ったこと。この曲は好きではない、分からない。現代ピアノ曲を聴いたときにときどき感じる「分からない」という感覚と同じものを感じたのだ。
「クラシック」のピアノ曲は、そのほとんどが「分かる」ものであって、その中で好みのものとそうでないものがある、と思っていたのだが、実はそうではないのかも知れない。
古典音楽の中にも「分からない」ものはある、たぶん。そして、クラシック音楽も結局は好きか嫌いかという部分が大きいのではないかと思う。
ポピュラーとクラシックとで、聴き方や判断の仕方になぜ違いが出るのかというのは、よく分からない。他の人も同じ感覚を持っているかどうかも分からない。ポピュラーの方が、人間の「感性」に直接はたらきかける要素がより大きい・強いだけなのかもしれない。
でも、好き・嫌いの判断にちょっと時間はかかるが、結局はクラシック音楽の「お気に入り」度判断は、ポピュラー音楽と同じであるような気がしてきた。
…と、とりあえず睡眠不足の「雑想」でした…(お付き合い感謝!)。
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