引き続き、『音楽を「考える」』を読んで考えたこと。日本(人)の「1%の壁」という話である。(緑の字は引用)
音楽に関してずっと気になっていることの一つが、日本(人)にとってのクラシック音楽(西洋音楽)の問題である。日本人に西洋音楽は本当に理解できるのか?日本人ピアニストの演奏がいまひとつ魅力的でないのはなぜか?などである。
それと直接関連するのかどうか分からないが、この対談の中では「1%の壁」という象徴的な言い方で、クラシック音楽が日本で浸透しないことが語られている。
日本のクラシック人口は、キリスト教の人口に似ていますよね。
1パーセント。
「クラシック音楽、よく聴きますよ」と自分で言っている人でも、大事なところはほとんど知らないことが多い。
キリスト教のほうは、…遠藤周作が言うように、日本には根付かない何かがある。クラシック音楽にも同じことがあるのだろうか。
日本という社会または日本人に、もともと「根付かない何か」があるとは思いたくないのだが…。ところが、茂木さんは科学でも同じ状況があると言っている。
実は科学も同じ現象が起こっている。脳ブームとかいって変な形で騒がれています。…ほんとうに脳について真摯な関心を持っている人って、…やっぱり1パーセントかもしれない。
このあと、「日本論」の話になるのだが、やはりそうか、という話が多かった。
一言で言うと、子どもに「本物」を聴かせてない、見せてない、というところにいく。教育の現場でも、家庭でも。本書では出てこないが、市場(音楽を含む商業環境)にも「本物」が少ないように思う。
小中学校の音楽教育がひどい。《ペルシャの市場にて》とか、…いわゆる「子ども向け」のクラシックを聴かせている。
日本人はすぐ「子ども向け」とか…言いたがる。これこそが世界に例を見ない日本特有の現象です。
パリのオペラ座では子どもに本物を見せるというのをやっている。…(美術も同じ)
ちなみに、私見であるが、大人向けのクラシック音楽の市場環境もイージーに流れすぎていて(ヒーリング・ミュージックとか、美男美女の演奏家とか)、「本物」に触れる機会は少ないように思う。または、「機会」はあってもチケットが高額すぎて一般人にはなかなか難しい。
これが、本当に「日本特有の現象」だとすると、日本の文化水準は危うい状況にあるのでは、と思ってしまう。日本では、芸術や文化といったものまでが、あまりに商業主義・儲け主義に走っているのではないかと心配である。杞憂であればよいのだが…。
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