演奏会後サイン会でのキット君:ジャパン・アーツさんのTwitterより |
プログラムはバッハを中心に構成されており、それにリストと自作の「バッハの名による幻想曲」が加わる。よかったのはやはりバッハ、とくに「パルティータ第6番」と最後の「オルガンのための幻想曲とフーガ ト短調」は素晴らしかった。
こんなバッハ聴いたことない!ダイナミックで生き生きしていて、最後まで引き込まれる、終わってもまだ聴いていたい、という感覚。
YouTubeなどで予習して持っていた、やや華奢できれいな音というイメージは、完全にくつがえされてしまった。いや、一つひとつの音も十分にきれいだったのだが、それよりも音の響きの厚みや、細かい動きがまとまったときの心地よい音楽の存在感のようなものが際立っていた。
パルティータ第6番、トッカータの出だし、入り方が難しいところだが、何の迷いもなくスパッと気持ちよく音楽に入っていく。いい出だしだ(期待するイメージどおり)!♪
そのまま、音楽が躍動感とドライヴ感をもって進んで行く。美しいアルマンドが奏でられ、コレンテで再びハツラツとした若さが弾ける。気持ちを込めて思う存分盛り上げながらも、決して崩れない。エールが間奏曲のように歌われたかと思うと、じっくり語るようなサラバンド(これもこれまでに聴いたピアニストとは一味違うものだった)。そして、テンポ・ディ・ガヴォット、ジーグ、と最後までしっかりと聴衆(私)の心を捉えて離さなかった。
なんというか、思いっきり「今生きているキット君のバッハ」が目の前に現出しているのだが、まったく嫌味(「どうだ!」みたいな)がないのだ。音楽と正面から向かい合っているという「すがすがしさ」「潔さ」のようなものが、まっすぐにこちらに伝わって来る。ピアニストが思い切り自己表現をしているのに、聴こえてくるのはバッハの音楽、という感じ…。
ただ、そこにあるのは、一般的にありがちな「古典的な」「やや古めかしい」といったイメージではまったくない。「生きている」バッハの音楽である。
もちろん、「これはバッハではない」という人がいても不思議ではないとも思う。しかし、例えば、仮にバッハがこの演奏を聴いたとしても、「これは私の音楽ではない」とは決して言わないのではないか、という気がする。むしろ「ホーッ、そうくるか(感心)!」「君たちの時代はいい楽器を持っているね(満悦)♪」と言ってニヤリとするのでは…、と勝手に想像している。
キット・アームストロングは、まちがいなく新しいバッハを創造し、音楽界に新しい価値を付け加えたのだと思う。この才能が、この先もすくすくと育って21世紀の巨匠の一人となることを願っている。どういう音楽世界を見せて(聴かせて)くれるのか、本当に楽しみである。
…と、リストと自作の曲に一言も触れずに終わってしまった。ので、少しだけ補足。
リストの3曲は悪くはなかったのだが、パルティータが期待以上の出来で興奮冷めやらぬ中で聴いたので、実はあまり印象に残っていない。一番良かったのはメフィスト・ワルツだったと思うが、それよりもアンコール曲のエステ壮の噴水が美しかった。
自作の「バッハの名による幻想曲」は、いわゆる現代曲としては聴きやすい部類に入ると思うが、やはりもう少し聴いてみないと本当の良さは分からない。ところどころにバッハの語法が感じられるのは、キット君も意識してそうしているのだろうと思われる。
なお、帰りの電車の中から帰宅して0時過ぎに寝るまで、ずっとカミさんとキット君の演奏の話をしていた。音楽・ピアニストの話こんなに盛り上がったのも久しぶり…、初めてかもしれない。
ちなみに、カミさんの感想は、一言で言うと「いいね〜♪ 元気をもらった感じだね〜」「パルティータは私のイメージとは違うけど、刺激的で面白かった!」というところ。
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