2015年3月26日木曜日

「ピアニストはおもしろい」は面白かった ♪

『ピアニストはおもしろい』という、仲道郁代さんの本を読んだ。あまり期待していなかった(失礼!)のだが、これがなかなか面白かった。

ご自分の名前をもじって「わがみちいくよ」(Going My Way)という言葉を使っておられるが、まさにそういう雰囲気がよく出ている。読み物としても一流だと思う。





子供のころの練習風景や、子育てしながらのピアニスト生活の悪戦苦闘、エリーザベト王妃国際コンクールの裏話、所有されている6台のピアノの話など、盛りだくさんで実に面白い。

…のだが、それを伝えるほどの文章力も私にはないので本書にお任せするとして、ここでは私の興味を引いたところをいくつか書いてみる。


一つ目は、ピアニストの身体について。本のあちこちに書いてあることを拾い読みしてみる。

不思議に思ったことは、握力が弱いという話。平均以下だそうだ。その代わり、背筋力がとても強くて、小学校時代は男の子より強かったらしい。ピアノは、手の力より「背中、腰から踏ん張って音を出す」ためではないかという本人の分析。

それから、多くのピアニストの手を見てきて、ピアニストに向いた手というものはないのではないか、と書いておられる。とくに子供は、弾いているうちに、関節の支えがしっかりしてくるはず、だそうだ。ピアニストの手はピアノの練習が作るということ、かな?

また、コンスタントな練習によって筋肉を保つことがとても重要らしい。2〜3日練習しないと、「特に小さな筋肉の精度が悪くなる。…小さな筋肉を柔軟に使って出す音色やコントロールが大ざっぱになってしまう」とおっしゃっている。

「小さな筋肉」「筋肉の精度」「筋肉を柔軟に使う」、どれもピアノではあまり聞かない表現である。プロのピアニストになると、そこまでの細かい神経が必要になるのだろう。

たしかにいい演奏をよく聴くと、短いフレーズの中でも、強弱・テンポ・アーティキュレーションの細かい変化を感じとることができる。そういう表現を作り出すために、ピアニストたちは「小さな筋肉を精度よく柔軟に使う」ことをやっているのであろう。

面白いと思ったのは、年初に立てる「今年の抱負」。2番目の「ピアノに励む」より前に「ストレッチをする」というのがトップにあること。よほど身体を酷使しておられるのか…。

本人曰く、「しなやかな筋肉は幅広い表現の可能性を宿す」。体が硬くなると、「音色やダイナミクス、そして音の柔硬の幅も激減する」というのが経験から得た持論である、とのこと。


二つ目に、面白かった、というより共感したことが、終わりのほうにあった。ピアニストの孤独について書いてある箇所だが、孤独についてではなく「最近の若者(ピアニスト)」についての感想。

ピアニストの若林顕さんとの会話での若林さんの言葉。

最近の若い子って、感動を与えたいってよく言うけど、演奏で感動を与えるって、そんなものじゃないよねえ。だいたい、感動を与えるために音楽してるのか?って思っちゃうよ

これに対して、周りにいたピアニスト(コンテストの審査員)一同が同感の深いため息をついたという話。これに対して、仲道さんは次のようなこと(疑問)を書き連ねている。

  • 自分を表現?
  • 表現する自分て何?
  • 表現するほどの自分はそこにいるの?
  • 表現に値するほどの私はどこにいるの?

まったく同感である。最近の日本の若いピアニスト(もちろん全部ではない…)にあまり魅力を感じられない理由がわかったような気がする。国際ピアノコンクールで優勝できない理由もこの辺りに潜んでいるのかもしれない。とても残念な話である。

日本人(というかマスコミ?)が、「感動」とか「自分(探し)」とか、本来はとても深いはずの言葉を、あまりに安直に浅薄に使うようになっていて、若い人たちがそういう環境で育たざるを得ないことが大きいのかもしれない。


…と書いているうちに紙面が尽きてしまった。ではなく、少し長くなったので、この続きは明日にでも。(作曲家について、とくにドビュッシーとシューマンについての話が面白かったので…)



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