2015年3月8日日曜日

アメリカ大陸:ピアニストの系譜(8)

カナダ、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチン、チリのピアニストの系譜を俯瞰する。系譜としてあるのは、米国のルドルフ・ゼルキンとロジーナ・レヴィーンぐらいである。

南北アメリカ大陸からも、著名なピアニストが多く輩出している。グレン・グールド、ルドルフ・ゼルキン、マレイ・ペライア、ヴァン・クライバーン、ネルソン・フレイレ、マルタ・アルゲリッチ、ダニエル・バレンボイム、クラウディオ・アラウなど…。


 『ピアニストの系譜』
 (真嶋 雄大 著、音楽之友社 2011/10/5)

  読書メモ8:アメリカ大陸

  本の紹介・目次は→《本「ピアニストの系譜」》


最後に南北アメリカ大陸である。カナダ、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチン、チリを見ていく。


カナダ


カナダといえば、グレン・グールド(1932-82)である。本人は独学と言っているようだが、アルベルト・ゲレーロに師事したようだ。

また最近評価の高いピアニストに、マルク=アンドレ・アムラン(1961-)がいる。比類なきテクニックの持ち主で、アルカン、ソブラジ、ブゾーニ、ゴドフスキ、メトネル、シチェドリン、カプースチンなどの作品の発掘にも熱心であり、目が離せない。

一方、バッハ、ベートーヴェン、クープラン、ラヴェル、リストなど、ある程度絞り込んだレパートリーで活躍しているのが、アンジェラ・ヒューイット(1958-)である。

若手としては、レオン・フライシャーやチャールズ・ローゼンの薫陶を受けたナイダ・コール(1974-)が話題となっている。ヴァン・クライバーン・コンクールで最優秀室内楽演奏賞を獲得した個性派ピアニストである。


アメリカ合衆国


アメリカ合衆国は文化的にも新しい国である。当初19世紀には、多くのピアニストがヨーロッパから大陸に渡り活躍した。その中には、ハンス・フォン・ビューロー、アントン・ルビンシテイン、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ、モーリツ・ローゼンタール、レオポルド・ゴドフスキ、フェルッチョ・ブゾーニ、ヨーゼフ・ホフマンなどがいる。

2度の世界大戦の影響もあり、その後も多くのピアニストや作曲家がアメリカに亡命するなどして活躍したのは周知の事実である。それによって、アメリカ大陸のピアニズムが活性化し、飛躍的に発展することになる。

なかでも大きな貢献をしたのが、ルドルフ・ゼルキンとロジーナ・レヴィーンである。

まずは、ゼルキンの系譜を追ってみよう。

ゼルキンは1933年に渡米、その後移住してカーティス音楽院で教鞭をとった。その門下からは、ユージン・イストミン、リチャード・グード(1943-)などが出ている。

アメリカ人として初めてリーズ国際コンクールで優勝したマレイ・ペライア(1947-)もゼルキンに学び、そのアシスタントを務めていた。また、ゼルキンから招かれてカーティス音楽院で教えたロバート・レヴィン(1947-)もモーツァルトのピアノ・ソナタ全集の録音などで活躍している。

そして、ルドルフ・ゼルキンの息子、ピーター・ゼルキン(1947-)がいる。一時期ドロップ・アウトするなど物議をかもしたが、復帰後は現代音楽グループ「アンサンブル・タッシ」やソロなどで活躍している。

さて、ロジーナ・レヴィーンである。キエフ生まれの彼女は、モスクワ学院でワシーリー・サフォノフに師事したあと、ピアニストのヨーゼフ・レヴィーンと結婚してアメリカに亡命。ジュリアード音楽院で教鞭をとっていた夫の死後、あとを受け継いで活躍した。

レヴィーンの門下生には、第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)、ショパン・コンクールなどで優勝して注目されたギャリック・オールソン(1948-)、ペルルミュテールにも学びロン・ティボー国際コンクールで優勝したエドワード・アウアー(1941-)などがいる。

また、中村紘子(1944-)もレヴィーンに師事している。

そのほかの米国のピアニストには、スティーヴン・コヴァセヴィチ(1940-)、ラン・ラン(1982-)やユジャ・ワン(1987-)を育てたゲイリー・グラフマン(1928-)、一時期右手が動かずその後復活したレオン・フライシャー(1928-)などがいる。

レオン・フライシャーはイェフィム・ブロンフマン(1958-)、エレーヌ・グリモー(1969-)、ニコラ・アンゲリッシュ(1970-)、ベン・キム(1983-)など多くのピアニストを育てている。


ブラジル


ブラジルのピアニストとしては、作曲家でもあるエイトール・ヴィラ=ロボス(1887-1959)がいる。そして、ヴィラ=ロボスをして〈ブラジルの魂〉と言わしめ、その300を超えるピアノ曲の趣から〈ブラジルのショパン〉と呼ばれたのが、エルネスト・ナザレー(1863-1934)である。

現代のブラジルを代表するピアニストといえば、アルゲリッチとのデュオでも知られる、ネルソン・フレイレ(1944-)であろう。


アルゼンチン


アルゼンチンには、ヴィンチェンツォ・スカラムッツァ(1885-1968)という名教師がいた。その門下生として有名なのが、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(1941-)とマルタ・アルゲリッチ(1942-)である。ダニエル・バレンボイムの父、エンリケ・バレンボイム(1912-79)もその弟子だ。

アルゲリッチは、スカラムッツァのあと、ミケランジェリやニキタ・マガロフにも師事している。

ダニエル・バレンボイムは父に手ほどきを受けた後は、巨匠エドヴィン・フィッシャーに学んでいる。

アルゼンチンの若手で期待されているのは、ネルソン・ゲルナー(1969-)とイングリット・フリッター(1973-)の2人である。


チリ


大ピアニスト、クラウディオ・アラウ(1903-91)はチリ出身である。7歳でベルリンに留学、マルティン・クラウゼの家に住み込んで英才教育を受けている。その後パリで、イヴ・ナットに学んだ。

エレーヌ・グリモーやフィリップ・ジュジアーノを育てたピエール・バルビゼ(1922-90)、グレン・グールドを育てたアルベルト・ゲレーロ(1886-1959)もチリ出身のピアニストである。



『ピアニストの系譜』 読書メモ【完】


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