ポーランドといえばフレデリック・ショパン。ショパン国際ピアノ・コンクールを創設したのがイェジ・ジュラヴレフというピアニスト。ショパン・コンクールで優勝したのが、1975年のツィメルマン、2005年のブレハッチである。
そのほか、エマヌエル・アックスや最近来日したピオトル・アンデルシェフスキも忘れてはならない。ポーランドの輝かしいピアニスト達は、その充実した教育システムと教授陣から生まれているようだ。
『ピアニストの系譜』
(真嶋 雄大 著、音楽之友社 2011/10/5)
読書メモ5:ポーランド
本の紹介・目次は→《本「ピアニストの系譜」》
ポーランドというとフレデリック・ショパンだろうが、あまりに有名なので割愛する。また、「19世紀から20世紀にかけて多くの輝かしいピアニストが出現している」とこの本にはあるが、歴史上の人物については巻末の系譜図を眺めるだけでよしとしよう。(聞き覚えのある名前としては、レシェティッキ、パデレフスキ、ローゼンタールなどがいる。)
…ということで、興味の赴くまま何人かの名前を書き連ねてみる。
「輝かしいピアニスト」の一人であるアレクサンドル・ミハウォフスキという人の弟子に、ネイガウスやワンダ・ランドフスカがいる。その兄弟弟子に、ショパン国際ピアノコンクールの創設者がいる。イェジ・ジュラヴレフ(1887-1980)という人だ。また、映画『戦場のピアニスト』で有名になったウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000)も名を連ねている。
その『戦場のピアニスト』で演奏したのがヤーヌシュ・オレイニチャク(1952-)という人。また、アダム・ハラシェヴィチ(1932-)は第5回ショパン・コンクールでアシュケナージを押さえて優勝したピアニストだ。
ステファン・アスケナーゼ(1896-1985)は「ショパン、モーツァルト、リストの流れを汲むピアニズムを継承した」ピアニストと言われているが、その弟子にあのマルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレがいる。
日本人に関わりが深いのが、レオニード・コハンスキ。1925年からの数年間、東京音楽学校、1953年から1966年まで武蔵野音楽大学で教えた。その弟子には、諸井三郎、井口基成、井口愛子、中村紘子、福井直俊、園田清秀(高弘の父)らがいる。
「巨匠の域に入っている」と評価されているのが有名なクリスティアン・ツィメルマン(1956-)。その兄弟弟子にクシシュトフ・ヤブウォンスキ(1965-)という人がいる。ニキタ・マガロフにも薫陶を受け、ショパン・コンクールで3位に入賞している。
忘れてならないのが、2005年のショパン・コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチ(1985-)。ショパン・コンクールでポーランド人が優勝したのは、1975年のツィメルマン以来のことらしい。
ブレハッチが語るポーランドのピアノ教育。「7歳からアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校に通って」「2〜3時間のレッスンが週2コマ、それと音楽史など1コマ」「普通の小学校にも…」という忙しい小学生だったようだ。こういう教育システムがあることがすごいと思う。
その内容については、
「印象的だったのは音作りです。美しく丸い音…の作り方、フレーズの終わり方…を教えられました。」「丸い音を出すには…いい耳を持つことです。また身体の力を抜いて、腕の動きも円を動くような感じで、そういう伸びやかな動作がいい音に繋がります。」
と語っている。10歳前後の子供が、いい音を出すための試行錯誤を毎日行っているのである。
そのほかの注目すべきピアニストには、エマヌエル・アックス(1949-)とピオトル・アンデルシェフスキ(1969-)がいる。アンデルシェフスキはつい最近来日したばかりだ。
アンデルシェフスキが語る、師エレーヌ・ボッシ。「彼女はコルトーの弟子で、本当のアーティストでした。」「特に覚えているのは指1本でレガートをする方法です。…サジェストすることこそが大切であり、ピアノの豊かさでもあるということを教えてもらいました。」
充実した豊かな音楽教育環境が羨ましい、と思った。