『作曲家から見たピアノ進化論』という本を読み始めた。
いつものように、読み終わってから読書メモを書こうと思っていた。のだが、読み進むうちにいろいろと気になることが出てきたので、いくつかのテーマについてそれぞれ思ったこと書いておくことにした。
この本は、東京芸術大学教授(作曲家、ピアニスト)の野平一郎(のだいら・いちろう)氏が、月刊誌『音楽の友』に連載した記事(2010年1月〜2012年3月)をベースとしたものである。(音楽之友社、2015年2月28日刊)
内容や目次はAmazonサイトにある説明を見ていただくとして、ここでは本の帯にあった気になる言葉を引用しておく。
「ピアノが誕生して3世紀が経った今、私たちは、この楽器に何を託すのか?」「今後、…ピアノ一つで新境地を開拓し続けようとする作曲家がもう現れないとしたら…」
クリストーフォリ 1726年 レプリカ/山本宣夫氏所蔵 |
上の写真はPTNAの「ピアノ300年記念コンサート」のページから引用したものである。この記念コンサートが2009年に開催されているように、バルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明したのは1709年というのが定説になっているようだ。この本の筆者は1700年説だが、まあ3世紀前だと思っていいだろう。
この本の第1章は「鍵盤楽器の栄枯盛衰」というタイトルである。チェンバロからピアノフォルテからモダン・ピアノの流れを辿ると思いきや、ピアノ自体(を含む楽器)の「栄枯盛衰」が語られる。
楽器にも寿命があって、誕生して発達し、安定して使われるうちに陳腐化?して成長が止まり、やがて長い時間をかけて忘れ去られていく。そういう話である。たしかに、すでに忘れ去られた「古楽器」はいくつもあるのだろう。
しかし、ピアノに限ってそんなことは思いもよらないことだ。と思っていたのだが、そうでもないかもしれない…と思ったのは次のくだりを読んだときだ。(長いので要約しながら引用)
「ピアノが誕生した最初の1世紀(18世紀)は楽器の発展の時期だった。手探りで最適なメカニズムが模索され、チェンバロなどと併用された。」
「次の1世紀(19世紀)、ピアノはまさに黄金時代を迎える。ほぼ完成形となったピアノに対して多くの作曲家が様々な思想を抱き、それが作品となって結実し、新たな演奏技術を生み出し続ける。演奏専門のピアニストも登場してくる。」
「そして20世紀に入ると、ピアノは構造的にほぼ最高の状態に完成される。重要な作品が生み出され続けるが、さらに時代は演奏家中心のものとなり、それまでに作られてきた遺産をどう創造的に解釈、処理していくのかが最大の課題となっていく。」
3世紀にわたるピアノの歴史を概観した後に、筆者はとても気になる危惧を表明している。
「21世紀になっても新たな若い演奏家は引きも切らずに現われ、…。しかし…、ここしばらくピアノのための重要な作品が生まれることが少なくなっているように思えることだ。少々行き詰まっているのかとさえ感じることがある。」
作曲家兼ピアニストとして活躍しておられる筆者の言葉なので、説得力がある。
ピアノ音楽入門者兼ピアノ初心者の私から見ても、現代はまさに専門演奏家の時代のように見える。ピアニストを知ろうと思うと、本当に百花繚乱といった状況で、ある意味では「うれしい悲鳴」状態である。
一方で、現在の作曲家やそのピアノ作品を探してみると、なかなか発見できないことが多い。「重要な作品」かどうかは判断できないにしても、「いいなぁと思えるピアノ曲」はほとんど見つからない。
一ピアノ・ファンとして、ピアノ音楽が、琴や三味線のような「古典芸能」にならないことを願いたい。
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