興味があったので、長い英文だが辞書を引きながら読んでみた。ちょっと面白かったので、勝手訳(意訳・抄訳)を作ってみた。誤訳も混じってるかも…(^^;)。
✏️‘More like a festival’: How classical competitions are reinventing themselves
コンクールには「無名でステージに上がり、スターとなってステージを降りる」という神話が存在していた。1958年のクライバーンの成功によって、コンクールはスターダムへの切符だと信じられていたが、それは昔のこと…。
クラシック音楽ビジネスがなんとか再生しようと苦しんでいる中、業界は余計にコンクールにこだわっているようにも見える。ピアノだけでも 800以上のコンクールがある。
今、コンクールの再定義が試みられている。明日のスーパースターを生み出すより、むしろ「現在」にフォーカスされるようになった。
ルービンシュタインコンクールの芸術監督 Idith Zvi は言う。「コンクールというよりフェスティバルにしたいのです」と。
年間を通じてコンサートを行い、入賞者のキャリアを構築するためのマネジメントを提供し、資金集めや聴衆の開拓に精を出す。コンクールの位置付けは「登竜門」から「音楽教育の重要な一部」になる。これは「コンクールは新しいタレントを発掘できていない」という非難への言い訳?にもなっている。
音楽コンクールの従来モデルは死んだと言ってもいいだろう。
Alternative models
(新しいモデル)
クラシック音楽のコンサートの切符を買わせようと思ったら、マーケティング戦略が重要だ。"big event" であると宣伝しなくてはならない。コンクールにも聴衆が必要だ。
クライバーンコンクールの年間経費は 7百万ドル。コンクールそのものに使われるのは半分。残りはコンサートや広告宣伝やストリーミング配信などに使われる。例えば、他と共同でプロデュースしているコンサートは年間 250もある。
Harrison の率いる APA(American Pianists Association)コンクールでは、5人のファイナリストはファイナルの前に、インディアナポリスの各地でリサイタルやコンサートを行い、高校での 3日間の活動も行う。聴衆からすれば、フルシーズンの催しとなる。
APA の勝者は、2年間のマネジメントを得る。だが、これは入賞者のためだけではなく、コンクールの価値を上げるためのものでもある。
しかし最近は、言い方(narrative)そのものを変えている団体もある。
Young Concert Artists や Concert Artists Guild といったマネジメント組織は、毎年のコンクールの入賞者に一定期間の支援・マネジメントを提供している。熾烈な「競争」ではなく、若い音楽家たちへの「支援」を前面に出すことで好評価を得ている。
一方で、通常の(コンクールではない)組織も、コンクールを自身の目的のために活用している。
The Metropolitan Opera は42地区と12地域の支部でオーディションを行うことで、草の根的な支援を長いこと提供している。
また、小さな Kaleidoscope Chamber Orchestra(指揮者なしのアンサンブル、ロサンゼルス)は特徴のある面白いプログラムを作るために、共演者を探すコンクールを始めた。
第1回目の今年は、88カ国から2,000近くのビデオ応募があり、6人の演奏家がロサンゼルスでファイナルに臨み 3人が入賞した。今シーズンのプログラムで共演することになる。
最初のアーティストは Ekaterina Skliar。Joseph Tamarin 作曲の「 domra(ロシアの民族楽器)のためのコンチェルト」を演奏する。オーケストラ代表の Benjamin Mitchell は「初めて見る楽器で仰天した」と言っている。
domura を持つ Ekaterina Skliar |
The artist as competitor
(コンペチタとしてのアーティスト)
最近、ほとんどのコンクールは big name を出せないでいる。50年前にはコンクールの数も少なく、クライバーンや、1952年エリザベート王妃コンクールのレオン・フライシャーのようなスターを輩出した。
いろんな批判がある。コンクールが多すぎる。審査員が足りない。先生が自分の生徒を入賞させる。コンセンサス(意見の一致)が必要なので、意見は分かれるが最もエキサイティングな才能が脇に置かれてしまう。
だが、本当の問題はそんなに沢山のスターはいないということだ。業界内部の人が 2011年に私に語ったこと。「昔はホールをいっぱいにできるアーティストが何十人もいたが、今はせいぜい 5人だ。Joshua Bell、Lang Lang、Renée Fleming、Yo-Yo Ma、Itzhak Perlman くらい…」だと。今ではそれも保証できないが…。
現在はもっと厳しい。2011年のルービンシュタインとチャイコフスキーのコンクールを制覇したダニール・トリフォノフでさえ、業界内では尊敬されても、一般大衆からそれほどもてはやされている訳ではない。
コンクールに勝つことがその後のキャリアに直結しなくなり、敗者の中から優勝者より大きなキャリアを積む者が登場してくると、負けることが不名誉ではなくなってきた。
その結果、多くの演奏家にとってコンクールへの参加は、仕事の一部でしかなくなってきている。勝ち負けよりも、演奏し続けること、集中し続けること、多くの人に聴いてもらうことで本当に聴いてもらいたい人(right person)に出会えることが重要になる。
チェリストの David Requiro は「リンカーン・センターの "Bowers program" のオーディションに応募するとき、Washington International Competition と Naumburg Competition での優勝をレジュメに書けることが重要でした」と言っている。
でも、コンクールに出ることの恩恵はもっと目立たないところにある。オリンピック選手のようにトレーニングが強化されることだ。何ヶ月も前からゴールを設定し、長い期間をかけて何かを準備するというのが貴重な経験になる。
勝つことに焦点を当てないとしたら、コンクールそのものの意味がなくなるのではないか? 生まれつきのコンペチタ(競争が性分に合っている人?)ではない人にとって、コンクールはただの障害になるのではないか?
それでも、コンクールでうまくやるアーティストたちは、入賞すること以上の意味を認めている。「結果に関わらず、コンクールに出る価値はあると感じる」と Requiro は言う。
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