いずれにしても、副題が「ピアニストが読む音楽マンガ」とあって、あまり期待せずに読み始めたのだが、けっこう面白かった…(^^)♪
この本は、裏表紙の紹介文にあるように、ピアノの専門家である青柳いづみこさんが「『のだめカンタービレ』 『ピアノの森』 『神童』など音楽マンガを読み解き、クラシック界の深奥に誘う」というものである。
ボクたちクラシックつながり―ピアニストが読む音楽マンガ
以下、いくつか気が向くままに書いてみたい。
最初に小ネタ的なもの。
『神童』の中で、野球で右手中指を捻挫した主人公?(成瀬うた)が 4本の指だけでラヴェルの「水の戯れ」を弾いてしまうという場面があるらしいのだが、現実のピアニストにも同じようなことがあったようなのだ。
それが何と!安川加壽子先生。痛めたのは右手薬指で、弾いたのはシューマンとショパンの作品(曲名は書いてない)によるリサイタル。『翼のはえた指―評伝安川加壽子』といういづみこさんの本に書いてあるらしいのだが、この本もそういえば読んでない…。
プロのピアニストって凄い!いつも、少しでも弾きやすい指使いを苦労しながら探している私としては羨ましい話だ。
練習に役立つかも知れない「フーガの裏技的練習方法」というのもあった。
4声の場合は、「3声をピアノで弾きながら残りの 1声を自分で歌う」という方法。ピアノは 4声すべてを弾いてもいいらしい。
歌うのが苦手な私にとっては、たぶん使うことはないだろうが…(^^;)。
古くて新しいテーマ「楽譜通り」に弾くかどうか?という話題も出てくる。
参考:《「新即物主義」v.s.「19世紀ロマンティシズム」》
面白かったのは、いづみこさんが自分の生徒(「のだめ」的な…)を指導した方法。
「右手だけ弾いて左手でタクトをとる(指揮をする)」ことをやらせたそうだ。つまり、指揮者役の左手が演奏家である右手をリードするというやり方。これは、自分の練習にも使えるかもしれない。正しいテンポをキープする練習とかに…。
「のだめ」の中では、先生がちょっとひねった方法でのだめを諭している。
自分で作曲した『もじゃもじゃ組曲』をもってきたのだめに対して、先生は初見で弾いてみせる。すると、のだめは「作曲家として」たくさんの注文を次々に出してくる。
そこで先生は「他の作曲家だって言いたいことはいっぱいある!」「君はその声を本能的に、感覚的にしかとらえない」と、楽譜を読むことの大切さを教える…。
日本人ピアニストにはどうも新即物主義(楽譜通り派)が多いようだ。
「ピアノを弾くのは『祈り』で、聖書である楽譜から心を込めて一音一音弾くことだと…」(伊藤恵)
「デフォルメされた音楽は好きじゃないんです。たとえそれがホロヴィッツでも」(小川典子)
「自分というものが音楽の前に出ている演奏は肌に合わないようです。ぼくも音楽に奉仕する音楽家になりたい」(若林顕)
ちなみに、僭越ながら私の意見は、「新即物主義」でも「19世紀ロマンティシズム」でもない。まぁ、あえて言えば「ロマンティシズム」に近い「中間」と言う感じ? この議論自体があまり意味ないような気もしている。不毛な議論とまでは言わないにしても…。
そもそも、楽譜には作曲家のすべての意図が書き表されてない。
それに、楽譜に忠実にと言っている人たちも「解釈」の余地を認めていると思われる。「音楽の本質は楽譜にではなくその向こう側にある」みたいな言い方で…。
さらに、モーツァルトやショパンなどの作曲家自身でさえ、自分が弾くときは二度と同じ弾き方をしなかったと伝えられている。つまり「楽譜通り」という一種類のものはない。
もちろん、あまりにも眼に余る変更を加えるというのは問題だとは思うが…。
ピアニスト(音楽家)は本当に大変だなぁと思ったのは、第 9章の「ピアニストは本当に不良債権か?」という章を読んだとき。
タイトルから、実はそうでもないのかも…というような内容を期待して読み始めると、いづみこさんは章の初めにあっさりと断定している。
「のだめの弟が宣言する通り、ほとんどは不良債権でしょうね」
「不良債権」というのは、一人前のピアニストになるには膨大なお金と時間と努力がかかるのに、その投資した分の見返り(収入)が見込めないことと考えてよいだろう。
競争は熾烈だと想像できるし、「自主(自費)公演」とか「CD買い取り」とかの話を読むと本当に気の毒になってしまう。
少し古いが(2007年 3月)、この本には「週刊東洋経済」に掲載された「才能・努力だけで食えない クラシック音楽家事情」と言う記事のデータが引用されている。日本人音楽家の演奏(だけ)による収入の分布である。
年間収入 1,000万円以上の音楽家は数十人、300万円〜1,000万円の人は 1,500人、300万円未満の人は 5,000人。そして年間収入ゼロの音楽家が 2万人。
もちろん、演奏以外の収入もあるのだろう。これを見ると、コンクールの優勝賞金の 300万円とかは大金だ。賞金目当てのピアニストもいるのかも…(^^;)?
余談ながら、少し前(2015年)に話題になった?『「音大卒」は武器になる』とか『「音大卒」の戦い方』とかいう本は、こういう現状を裏づけしているような気もしてくる。
では、音楽家の生活や活動がそんなに大変だとしたら、なぜ音楽家を目指すのだろう? それが音楽の魅力であるとか、魔術であるとかいう説明では分かったようで分からない。
いづみこさんの説明が面白い。
「ひとつには、音楽以外の世界を知らないため、こんなものかと思っている…かも…」
「日本の…大部分の音大生は…並外れた才能があるわけではなく、勘違いしているわけでもないけれど、なんとなく…」
「そもそも職業を『選ぶ』とか、この道に『入っていく』という感覚がないのですよね。だって、気がついたときはもうピアノを弾いていて、それが人生のすべてだったわけ…」
ちなみに、いづみこさんご本人は、
「私たちの時代は、音楽家はどのみち三十歳になるまで食べられないというのが常識だったので、将来についてはあまり心配しなかった…。自分のピアノを磨きさえすればあとはなんとかついてくる…」
…という感じだったらしい。
ん〜、音楽家になる人たちは案外「楽天家」が多いのだろうか? 会社人間だけで現役時代を過ごして来た私には、頭では「そういうものかも知れない」と思いながらも、やっぱり理解できない。
「芸術することの喜びと麻薬性?」と「生活のために稼がねばならない」との相克みたいなことがあるのかも…(^^;)?
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《「新即物主義」v.s.「19世紀ロマンティシズム」》
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