このおじさんは、ピアノに関する色んな悩みが溜まってきたときに登場して、頭の中にあるモヤモヤをこのブログに書き散らかすのだ。ストレス発散!とばかりに…(^^;)。
最新のモヤモヤ記事は、何と!「2018年6月9日土曜日」という日付。2年 5か月前…。しかも、「新モヤモヤ」なんて書いておきながら、その後何の進展もない…(^^;)。
ちなみに、旧モヤモヤ(下記 1.〜3.)と新モヤモヤ(下記 4.〜6.)はこんな感じ。
- 練習が進まない、あるいは「頑張り」に比例した「上達」が感じられない
- 弾きたい曲の難易度が私の実力を大きく上回っている
- 「いい音楽・いい演奏」とそうでないものとは何が違うのか?
- ピアノを弾けるという感覚が分からない
- 弾きたい曲が減ってきた?
- 現代音楽や初めて聴く曲の良さが分からない
2年半近く何の悩みもなくピアノが練習できていた、あるいは上の 1.〜6. のモヤモヤはすべて解消した?…まぁ、そんな訳はないのだが…。
モヤモヤを大きく分けると、①ピアノの上達、②選曲、③音楽鑑賞力…となると思う。「新モヤモヤ」と言いながら、基本的には元のモヤモヤの延長線上にあるようだ。
なので、①〜③について、久しぶりに自己分析?というか、どうなっているのか再確認してみたいと思う。
①の「ピアノの上達」については、まさに悩みの真っ最中にあるかも知れない。
ベートーヴェンのピアノソナタ第31番という、私にとっては「身の程知らず」の大曲に挑んできた今年は、まさに悩みの連続である。
「難しい曲なんだからこの位でいいか…」という気持ちもありながら、できるだけ自分のイメージに近づけたい、出来るところまでレベルを上げたいという気持ちもある。
いくら練習しても難所をクリアできない、思うように弾けない…というのはずっと続いている。…なのに「モヤモヤおじさん」登場となっていないのは、ボヤいても仕方ない、そんなヒマはない…と思っているからかも知れない。
確かに、いくら進歩が遅くても練習するしか、他に道はないのだから…。
一つあるとすれば、このところ「暗譜」が出来なくなってきている。その原因がよく分からずにモヤモヤしている…というのはあるかも知れない。
歳のせいにはしたくないので…(^^;)…他の原因を探していて、原因が分かれば対処法もあるはずだ…と信じている(信じたい…?)。
それと、ピアノソナタ全楽章を通して弾きたいと思っているので、「長いピアノ曲」をどうやって弾くのだろう?という新たな悩みも発生している。
②の「選曲」問題は、たぶん「永遠の課題」だと思う。音楽鑑賞の対象として「いいなぁ♪」と思う曲はかなりの確率で私の実力では弾けそうもない曲なのだ。
少々ピアノの腕が上達したとしても、手の届かないピアノ曲は数え切れないほどある。
なので、方向性としては、ピアノの上達を信じて練習することと合わせて、もっと沢山のピアノ曲を知ることにより、自分の弾けそうな「弾きたいピアノ曲」を発掘するしかないだろう…と思っている。
つまり、「選曲」の問題もボヤいても仕方ない…のだろう…たぶん。
③の「音楽鑑賞力」あるいは「『いい音楽・いい演奏』とそうでないものとは何が違うのか?」問題については、ある程度、自分の中で答えを出したのだと思う。
《新モヤモヤ:ピアノについての新たな悩み?》の記事にも書いているが、
…ということではないだろうか?
ただ、感じ方は変化するということも忘れてはならないと思う。上の記事に、
これまでの経験で、作品でもピアニストでもそうなのだが、何度か聴いているうちに、最初思ったほど好きじゃなくなったり、逆にちっとも面白いと思わなかった曲が、ある演奏を聴いたとたんに大好きになったり…ということがある
…ということも書いている。
ただ、今年「ベートーヴェンの全作品を聴く」プロジェクト《All BTHVN 🎧》をやって感じたのは、ピアノ以外の弦楽器とか声楽ももっと聴かなくちゃダメだということ。
一つには頼りの「感受性」を磨くということ、ピアノ以外の楽器の良さを知る・感じるということのため。もう一つは、室内楽や伴奏でのピアノの存在価値?を再認識するため。
歌曲の伴奏をするヤン・リシエツキもよかったし、「クロイツェル」ソナタのファジル・サイも素晴らしかった ♪
…ということで、モヤモヤはなくなった訳ではないのだが、いろいろ考えたり悩んだりしてきたことで、少しは私自身も進歩している?ような気もしてきた…(^^)♪
ピアノの練習や選曲についてはこれからも悩み続けるだろうし、いい音楽を探す旅(ちょっと大袈裟…(^^;)…)も続けたいと思っている…🤗
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