アンデルシェフスキが10月に来日していて、来年春の公演についてメディア向け懇談会を行ったらしい。西日本の数カ所でコンサートに出演していたようだ。関東地方のコンサートしかチェックしてないので気がつかなかった…(^^;)。下記は「ぶらあぼ」の記事・写真。
この記事の中でちょっと驚いたのは、アンデルシェフスキが初めて監督・撮影した映像作品が上映されたとのこと。タイトルは「私の名はワルシャワ」(Warsaw is my name)。ワルシャワの風景と音楽だけで構成された35分ほどの作品のようだ。音楽は本人のCD録音からショパン、シマノフスキ、ウェーベルンなどの作品が使われているとのこと。
本人の解説が載っている。
「出身地であるワルシャワは、私自身、感情的に強いつながりをもっている土地です。…(中略)…この映像は、そうした私のこの街に対する想い、個人的な感情、瞑想を詩的な形で表現した心象風景のようなものです」
かなりの思い入れのある作品のようだ。一部でも YouTube などにあがっていないかと探してみたが見つからなかった。モーツァルトやシューマンの幻想曲などを録音した「ファンタジー」というCD(↓)に付録DVDとして付いているらしい。ただし輸入盤のみ。
来春の来日公演(3/17 すみだトリフォニーホール、3/18 ヤマハホール)の話も出ている。
その中で、3月17日のすみだトリフォニーホール( チケット購入済み(^^) ♪ )は、もともと「バッハ、モーツァルト、シューマンなど」というプログラムだったらしいのだが、その後「オール・バッハ」(イギリス組曲3番・6番、「平均律第2巻」より6曲)に変更されたと書いてある。(ヤマハホールはシューマン、モーツァルト、ヤナーチェク、ショパン)
そのあたりについて、アンデルシェフスキはなかなかいいことを語っている。
(2、3年前、あるいはそれ以前にプログラムが決定されるコンサートもあるが…)
「生演奏においては、その瞬間が生き生きと息づいていなければなりません。だからこそ私には、公演の日が迫ってからプログラムを決定できる環境がきわめて重要です」
「『平均律』…は、いつか演奏したいと思って、課題としてずっと取り組んできました。すべての音楽の基本にある作品で、どんどん突き詰めていくと、他の曲は演奏する意味がないのではないかと思ってしまうくらい、私はこの作品に意義を見出しているので、演奏するのは怖いのですが、ついに皆さまの前で演奏する時期が来たと思っています」
音楽に対する真摯な姿勢が感じられて好ましいが、それにしても「他の曲は演奏する意味がないのではないかと思ってしまうくらい…」というのはすごい表現だ。
聴く方もちょっとした怖さを感じるが、満を持して聴衆の前で演奏する6つの「プレリュードとフーガ」に期待したいと思う。オール・バッハになってよかった…(^^)♪
おまけ…というか「読み忘れた記事」について。
2015年に、アンデルシェフスキがバッハについて語ったインタビュー記事(聞き手:青澤隆明)を読んで、このブログに書いたことがある。
そのインタビュー記事は「アンデルシェフスキと、東京の初夏の午後」というタイトルの4回シリーズで、各回のテーマが次のようになっている。で、続きを読むつもりにしていたのだが、どうも忘れてしまっていたようだ…(^^;)。
✏️Vol.1: J.S.バッハを語る(1)
✏️Vol.2: バッハを語る(2)
✏️Vol.3: レコーディングと新たなレパートリー
✏️Vol.4: 新たなる境地
※追記@2023/09/23:リンク切れ
…で、改めて読んでみると、2年ほど前にアンデルシェフスキ本人がバッハに対してどう感じていたかが垣間見えて、実に面白い。
バッハの音楽についての困難さを聞かれて、悩んでいる中身を語っている。
「私が思うには、(バッハの音楽の特質として)自由ということが難物でね、その自由をどう扱うべきかが難しい。この音楽は弾き手に無尽蔵の可能性を与えてくれる、だがそれをどのように扱ったらよいものか……非常にオープンで、しかしそれを演奏するためには…」
「ベートーヴェンはその意味ではもう一方の極と言える。ベートーヴェンはおそらくいつだってパーソナルに語りかけるし、彼の音楽は彼個人に関するもので、モノローグ(独白)だから。バッハは決して自分自身について語らないし、彼はまるで声というか…」
「そう、ほとんどすべての事物の声だ。そう、では、すべてのものをどう扱えばよいのか? 鍵盤、ピアノ、エゴや自分の感性で? これが巨大な困難なんだ。こうしたすべてのものをどうやって取り扱ったらいい? このコスモス(宇宙)をどう扱ったものか、それはフレームに切りとることのできないものだし、しかし枠を定めないことには表現することができない…」
「そう、地図だ! 地図を描かなきゃならないんだよ」
つまり、バッハはベートーヴェンとは対極にあって、決して自分の声では喋らない。ある意味「万物の声」。だから演奏者には「どう扱ってもよい」という「自由」が与えられているように見える。しかし、一人のピアニストが一つの「演奏」を作り上げるためには自分なりの「地図」が必要になる…。
さて、この2〜3年をかけて、アンデルシェフスキは「平均律」に対してどんな「地図」を描き、それがどんな「音楽(演奏)」となって聴き手に語りかけてくるのか…。ますます楽しみになってきた…(^^)♪
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