Vladimir Feltsman(ウラディーミル・フェルツマン)というピアニストが書いた "Piano Lessons" という本を読んでいる。英語なので、気になるところだけの拾い読み…(^^;)。
上の絵の中の文は、私が勝手に一部を取り出したもの。意訳すると…
「ピアノを弾くことは、心の中で聴いているものを、実際の物理的な音に投影し明示することである。自分が持っていないものを表現し聴衆に伝えることはできない」
…といった感じだろうか。
"from head to hands, not hands to head" という言い方もしている。頭の中にあることを両手で表現するのであって、その逆(弾けるようになれば何かが分かる?)ではない…。
ピアノ曲を弾いたり練習したりするときは、まず最初にその作品の「イメージ」を持ちなさい…というのはよく言われることである。
例えば、ゲンリッヒ・ネイガウスの『ピアノ演奏芸術』という本にはこんなこと(↓)が書いてある。
「音楽を学ぶ人は、まず学び始める前に、精神的な意味ですでに音楽と言えるものを思いのままに操ってなければなりません。…音楽を頭の中にはっきりと捉えて保ち、心にそれを秘め、自分の耳にそれが聞こえている…」
「前もって作品に目を通し、大まかにでも弾けるようにしてから、できるだけすばやく〈音楽的イメージ〉(内容、意義、詩的本質)を自分自身にはっきりさせること」
これまでは、その「イメージ」が今ひとつよく分かってなかったのだが、"your inner hearing" と言われると、なんとなくではあるが、分かったような気になる。
例えば、ポピュラー音楽の場合、好きな歌手の好きな歌は、その声質から歌い方、サビの盛り上げ方などを、心の中で聴く(イメージする)ことができるのではないだろうか。
それと同じように、ピアノ曲についても心の中でイメージすればいいという訳だ。心の中で音楽が聴こえるようになれば、あとはそれを両手で表現するだけ…(^^;)?
もちろん、"from head to hands" のプロセスはそう簡単なものではない。フェルツマンが書いていることを意訳すると…。
「頭の中にあるものを両手で表現するには時間がかかる。しかもイメージ通りに実現できるとも限らない。実際の音にする際に、失われるものもあるし、付け加えられるものもある。作品のイメージというのは石に刻まれたように確固としたものではなく、生きていて変化するものだ」
では、どうすればよいのか?…については具体的には書かれていない。「こうすればいいよ」というノウハウ的なことや技術習得の話ではないということかも知れない。
作品をよく理解すること(形式、スタイル、作曲技術、音楽言語など)や、その作曲家の他の作品(ピアノ曲以外も)をたくさん聴くこと…というアドバイスは書いてあるが…。
そして、ピアノ教師としての経験から、生徒たちは「聴こえる『音』の質や性格を真似ようとする」「先生の『技術』を理解しようとする」が、そういうアプローチはうまく行かない…と断言している。
私自身は、先生に付いてはいないが、お手本とするプロのピアニストの演奏の「音」を真似ようとすることはよくある。…というか、それがメインのアプローチだった。
作品を理解するには、それこそ大量の幅広い音楽知識が必要だろうし、その作曲家を理解するほどその作品を聴くのも並大抵ではない。
ここは素人の趣味ということで、プロの「音」を真似るアプローチも許してもらうとするか…(^^;)。
なお、昨年ベートーヴェンの全作品を聴いたことが、ベートーヴェンの作品(昨年は Op.110)を弾くことにどれほど役立ったか?…について、まだ実感はない…。
ちなみに、この本との出会いであるが…。
昨年の「ベートーヴェンの全作品を聴く」プロジェクト《All BTHVN 🎧》で、「ディアベリ変奏曲」の新しいお気に入り演奏を探したことがある。
そのとき、ポール・ルイスの次に気に入ったのが Vladimir Feltsman(ウラディーミル・フェルツマン)という 1952年モスクワ生まれのピアニストの演奏。
で、フェルツマンのことを調べている中でこの本を見つけた。紙の本(ペーパーバック)で ¥3,224 するものが、Kindle版だと ¥434 だったのですぐに買ってしまった…(^^;)。
ところで、"from head to hands" の逆のアプローチが日本にはあることに気づいた。
「型(形)から入る」という方法だ。とくに、茶道や華道、剣道や弓道など「道」と名のつくものは、ほぼ例外なく「型から入る」ような気がする。
これをピアノに当てはめることはできないのだろうか?…と思って考えを巡らせ始めたのだが、長くなってしまいそうなので、続きはまたいずれ…(^^;)。
以下ご参考。私が気になった箇所の原文抜き書き。
Besides leaning a new score and making sure that my hands know where to go and what to do, I practice in order to transfer the "idea" and "image" of any given work that is formed in my head into actual playing -- from head to hands, not hands to head ...
The transfer from head to hands takes time and never is quite literal -- something gets lost in translation and something is gained, but the final result never quite matches what you had in mind, because the image of the work is not set in stone, but is alive and evolving.
We can't give what we do not have.
... students often try to copy what is being shown, to imitate the quality and character of the sound, trying to understand my "technique"
Playing the piano ... is a process of projection and manifestation of your inner hearing, which is a form of energy, into actual physical sound.
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