2017年9月2日土曜日

『蜜蜂と遠雷』風変わりな感想文?

読書の秋に向けて…というわけではないが、そして今更という気がしないでもないが、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を読んだ。




小説は、いつもはほとんど読まないのだが、テーマが国際ピアノコンクールということで読んでみた。これが実に面白かった。第156回直木賞(2017.1.19)、2017年本屋大賞(2017.4.11)を受賞しただけのことはある。


それにしても、よくこれだけのリアルな(実際のコンクールで実在のコンテスタントがそれぞれに苦悩し進化しているような…、そして実在していそうな審査員たちなどの…)描写ができるなぁと感心した。

…と思いながらネットの情報を見ていたら、恩田陸さんご自身「高校生までピアノを続け、大学時代はビッグバンドでアルトサックスを担当」とあり、かつ、モデルとなった浜松国際ピアノコンクールに「第4回から4回、12年通いつめた」そうだ。すごい…(^^)!♪


私自身、2015年の「国際ピアノ・コンクールの当たり年」以来、ピアノコンクールのファン(ネット経由ですが…)みたいになっていて、いくつかの国際コンクールに関する本(ノンフィクション)も読んだ(↓)が、もちろんそういう本とは違って、小説らしい「人間の描き方」は面白かった。

《中村紘子さんの「チャイコフスキー・コンクール」面白い!♪》

《本「ショパン・コンクール」知っているピアニスト沢山 ♪》

《ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについて(読書メモ)》


この小説の特長の一つとして、音楽(演奏)の描き方の素晴らしさがあると思う。ときには実際に会場で聴いているような、時間経過さえ感じさせるような引き込まれるような描写である。

ただ、ときどきちょっとやりすぎのようなところもあり、いつの間にか「ファンタジー」みたいな気分になって、私としてはちょっと…(^^;)。この辺りの「さじ加減」は個人の好みにもよるのだろうが…。

なんとなく、このコンクールが終わったあとに登場人物の一人くらいは、風の又三郎のようにどこかに消えてしまっても不思議じゃないような…?


で、ここからはちょっと「風変わりな(音楽的な?)感想文」みたいになるのだが、一人のピアノ音楽ファンとして参考になったことをいくつか…。

ある登場人物は「なぜピアノをやるか」「なぜコンクールに参加しているのか」といった自問を繰り返す…。そんな中に出てきた次の表現は、ちょっといい感じ ♪ がした。

「…外側にある音楽を味わい、それを追体験するためにピアノを弾き、世界に溢れる音楽の再現を楽しむ…」


私の下手な趣味のピアノも、好きなピアニストによる好きなピアノ曲の「追体験」をするため?…追体験できるほどうまく弾ければいいのだが…(^^;)。でも、方向性としてはこういう考え方もアリかと…。


それから、相変わらず折にふれて考えている「いい音楽とは?」「いい演奏とは?」に対するヒントが散りばめられていると思った。例えば…。


「その音を境として劇的に覚醒したのだ。違う。音が。全く違う」

「音楽というのは人間性なのだ」

「彼の演奏を聴くと、良かれ悪しかれ、感情的にならずにはいられない。彼の音は、聴く者の意識下にある、普段は押し殺している感情の、どこか生々しい部分に触れてくるのだ。…それは、誰もが持っている、胸の奥の小部屋(心の奥の柔らかい部分)だ」

「凄い情報量だ。プロとアマの違いは、そこに含まれる情報量の差だ。一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、なおかつみずみずしい。…常に音の水面下ではマグマのように熱く流動的な想念が鼓動している」



逆につまらない演奏の一つの典型を表現するいい言葉を覚えた。「アトラクション」!

「…最近のハリウッド映画はエンターテインメントではなく、アトラクションである」


そして、登場するあるコンテスタントの思い(↓)に強く共感した。

「『新たな』クラシックを作ること…『新たな』コンポーザー・ピアニストになること」

「…新曲を、最新の曲に生で接する喜びを、もう味わうことはできないのだろうか?…初演を聴く喜び」

「もっと当たり前に、コンサートピアニストが新曲の発表ができるようになればいい」



以前から、現代の、同時代を生きる作曲家やピアニストの創る「新しいピアノ音楽」を聴きたいという思いがある。それも生で「初演」に立ち会うことができれば、それは素晴らしい体験になるのでは、と思っている。

それはいわゆる「現代音楽」ではなく、人間が自然に「いいなぁ ♪」と思える作品で、ピアノの新しい可能性を感じさせてくれるようなものであってほしい。

そういう作品を生み出すのは、専業「作曲家」よりも、ピアノ演奏を極めた「コンポーザー・ピアニスト」の方が期待ができるのではないだろうか? 「コンサートピアニストによる新曲発表リサイタル」!ん〜いい響きだ…(^^)♪


この小説にはいくつかのテーマが、よくできた音楽作品のように織り込まれていると思う。そのテーマの一つが「閉じ込められてしまった音楽をそれが元あった自然の中に解き放つ」(とはどういうことなのか?)だと思った。いくつかの関連部分を抜き書きしてみると…。

「耳を澄ませば、こんなにも世界は音楽に満ちている」

「この暗い温室、厚い壁に守られた監獄で、ぬくぬくと庇護されている音楽を解放してやりたいような心地になってきたのだ。この音符の群れを、広いところに連れ出してやりたい」

「本来、人間は自然の中に音楽を聴いていた。その聞き取ったものが譜面となり、曲となる。だが、彼の場合、曲を自然の方に「還元」しているのだ。かつて我々が世界の中に聞き取っていた音楽を、再び世界に返している」

「音楽をね、世界に連れ出すって約束」



この辺りの話はいろんな解釈があるような気もするが、私自身は、ドビュッシーが『音楽のために』という本で書いている、次のような言葉と重なって、とても興味深かった。

「身のまわりにある無数の自然のざわめきを聞こう」

「野外音楽こそ、音楽の所有しているあらゆる力を結集するまたとない好機を音楽家に提供するもののように、私には思えるのだ。…コンサートホールのような密室の中では異様に聞こえるような和音の連続も、野外ではその真価をおそらく取り戻すだろう」



参考:《ドビュッシーの追求した音楽:「音楽のために」から》


おまけ。音楽系の小説ではよくあるのだが、こんなCD(↓)も出ている。個人的には、曲ごとに好きなピアニストの演奏で聴きたいと思うが…。

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)





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