それは、ジャズピアニスト上原ひろみさんがインタビュー記事(↓)の中で、ピアノの音の響きや色彩豊かな「音のパレット」について語っている言葉。何度も頷きながら読んだ。
✏️素晴らしいピアノは音の色彩豊か、上原ひろみ 理想の音楽とは
「毎回ピアノの調律を指定するのですか?」という質問に対し、「対応できる方であればあるほど、注文を細かくします」と答えたあとに…。
「でも、重要視しているのはタッチというよりも音の響きですね。音が球体である、というか『ド』と弾いたときの音の膨らみです。調律によって音の膨らみが全然違ってきます」
別のところで「ピアノが持つ可能性をどれくらい引き出せているか?」という質問に対しては、
「何%かというとわからないですけど、半分はいってるかもしれませんね…。ピアノの可能性という意味で、弦を直接弾いたり、叩いたり、ピアノを本来弾くべきではない所で弾くという意味ではなくて、ただ『ド』という一音を鳴らしたときの音の出し方の可能性です。それが『まだまだだな』と思っています」
この謙虚さは素晴らしいと思う。そして、続く言葉(↓)にもとても説得力がある。
「色彩というか、素晴らしいピアニストというのは何色も音のパレットがあると思います。同じ音でも様々な音が出せます。それは、言葉を話すときに美しいものを見て、様々な言い回しができる人が作家さんだったりすることと同じだ思うんです。ボキャブラリーや技術と経験と表現力ですね。何種類もの“美しい”が言えるということと同じことが、音でも言えると思います」
…と、ここまで書いてふと思ったのは、ジャズピアニストの方がクラシックのピアニストに比べて「表現する意志」が強いのだろうか?ということ。ステージでも感情を前面に出すような演奏が多いし、即興というものもある。
だから、音色や音のパレットという「表現のツール」に対してより敏感なのだろうか?
いや、そんな筈はない!…と思いながらも、クラシックのピアニストは「偉大な作曲家」のテキスト(楽譜)に縛られすぎなのかも?…なんてことを考えたりもしている…。
上原ひろみさんはこんなこと(↓)も言っている。
「ピアノは変幻自在な楽器だと思うので、そのときになりたいものになれるという感じがします」「(ピアノとは)一心同体ですね。特に上手くいっているときはそう感じます」
「表現」を大事にする姿勢は、音楽を聴くときの聴き方にも同じように表れている。
「自分が昔から聴いている人達で技術を取りざたされる人はいますけど、例えば初めてアート・テイタムやオスカー・ピーターソンを聴いたときに『技術が凄い!』とは思いませんでした。すごいスウィングだなとか、音がすごく楽しいなとか、音が“コロコロ”して気持ちいいなと感じました」
「凄く難しくて技術力が高いということ」は、あとで自分が勉強するために「耳コピ」などをするときに初めて分かるそうだ。
一流のピアニストから、こういう実感に基づいた、しかも分かりやすい話を聞くと、なんだかこちらも本当に分かった気になってくる…(^^) ♪
ところで、このインタビューは、ジャズ・ハープ奏者のエドマール・カスタネーダとのデュオのライブアルバム『上原ひろみ×エドマール・カスタネーダ「ライヴ・イン・モントリオール」』(↓)が9月20日にリリースされたことを記念して行われたものである。
ライヴ・イン・モントリオール(初回限定盤)(DVD付)
私には、ハープとジャズという組み合わせはまったく想像もできなかったのだが、上原ひろみさんも最初は驚いたようだ。
「ハープってこんな楽器だったんだと。自分が今までぼんやり描いていたハープのイメージを全て覆されるような、初めての体験でした」
「エドマールという人の持つ強さや素晴らしさは、あの楽器からあれだけのグルーヴ、リズムを生み出して、一つの楽器がベースにもギターにもパーカッションにもなり、本当に多面体な楽器であるということを彼は証明しながら弾くので、そこが凄いなと思いました」
…と聞いてもよく分からないので、YouTube で探して聴いてみた(↓)。たしかに、これまでのハープのイメージがひっくり返ってしまった。「百聞は一聴に如かず」(^^) ♪
♪ Hiromi & Edmar Castaneda - Fire (Live in Montreal)
ハープだけの演奏も聴いてみた。こちらの方が「ベースとギターとパーカッションを一つの楽器で一人が演奏している!」感じがよく分かる。面白い!♪
♪ Edmar Castaneda: NPR Music Tiny Desk Concert
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