2017年1月22日日曜日

シューベルトのソナタ14番は暗くない!:管弦楽的な魅力 ♪

シューベルトのピアノソナタ第14番の第1楽章を練習中である。弾き方の参考になるような解説や分析がないかと、ネットを探してみるのだが、なかなか見つからない。

あっても、やたら「暗い」とか「暗く不気味な主題」とか印象だけを述べたものが多く、あまり参考にはならない。

さらに、「暗い」理由として、この作品を作った時期(26歳)のシューベルトの生活が「ドン底」にあったこと(梅毒の悪化?による入院、経済的な困窮など)を理由に挙げてあるのもの散見される。


でも本当に「そうだろうか?」と思う。

何人かのピアニストの演奏を聴き、第1楽章だけではあるが自分でも練習してみた感想としては、必ずしも「暗い」とか「上ろうとすれば下に引きずり込まれるような音型に支配されている」とは思えないのだ。

私の貧弱な感性と言語能力ではうまく表現できないのだけど、例えば第1主題は「カッコいい」「力強い」と感じる部分もあるし、第2主題の美しさはなんとも言えない。

もちろん、明るい作品とは思わないし、陰影の刻まれた作品だとは思うのだが、もう少し音楽作品として見たときの解説があってもいいのではないかと思った。


それから、シューベルト自身の落ち込んだ状況が反映されている、という意見についてもやや違和感がある。

もちろん彼とて人間なので、そういうことがまったくないとは思わないが、芸術家として一つの作品を仕上げている訳なので、創作意欲と気力を持った人間がその創造力と作曲技術をもって創り上げた作品を、それ自体で評価すべきではないだろうか?


違和感を感じるもう一つの理由は、同じころに作曲している傑作の数々である。作曲家としては充実した時期と言ってもおかしくない。

前の年、1822年に「未完成」交響曲を、このソナタの3カ月前には「さすらい人」幻想曲を作曲している。この14番ソナタは1823年2月の作品だが、同じ年の11月には「美しき水車小屋の娘」を完成させている。


…と、こういうモヤモヤを解消すべく、2つのことを始めた。

一つは、NAXOS(IMSLP の特典)のCDの中にライナーノーツ(Booklet)のPDFが付いているものがあるので、それ(英語だけど…)を少し読んでみること。

もう一つは、吉田秀和さんの意見を聞いてみること、つまり『吉田秀和作曲家論集〈2〉シューベルト』を読んでみることである。


吉田秀和さんの本は読み始めたばかりなのだが、ライナーノーツの方は2〜3読んでみて、面白い発見があった。

それは、この曲が「さすらい人」幻想曲と同じように「管弦楽的」であるということ。つまり、シューベルトはここでピアノの制約を超えたオーケストラ的な表現を試みているという解説があったのだ。


例として挙げられているのは、第1主題がオクターブで再現される前の「ティンパニー・ロール」のような cresc.。これ(↓)かな?



それから、第2主題の到着を告げる「パワフルなトレモロ」。こういうところ(↓)の前後かな?



それ以外にも、展開部で鍵盤上を駆け巡る「ボリュームのある和音」などが、「管弦楽的」な例として挙げられている。

そう思って聴きなおしてみると(ついでに「さすらい人」幻想曲も聴いてみた)、たしかにオーケストラの響きを感じる。このスケール感・躍動感を「カッコいい」と感じたのではないかと思う。


それから、急激な変化と思っていた「 p と ff の交代」も、オーケストラの別の楽器(群)だと思えば、自然に感じられる。

こういう(↓)部分も、右手と左手は別の楽器(群)と思えば分かりやすい。



それから、とても参考になったのが下記の記事である。(感謝 ♪)


「循環ソナタ形式」というのは具体的にはよく分かってないが、楽章をまたいで(全曲を通して)同じ主題が変形されながら使われるような形式のようだ。

とりあえず第1楽章しか練習していないので、他の楽章は楽譜を見ながら聴いて、上のブログ記事を参考に勉強しようと思っている。

この記事の中に(第1?)主題は「『息の長さ』が【命】」と書いてあったのは、そうかも知れないと思った。意外と?息継ぎ(フレージング)が難しいのをなんとなく感じていたので…。


続きは『吉田秀和作曲家論集〈2〉シューベルト』を読んだあとで、もう少し考えてみたいと思っている。



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