2017年1月23日月曜日

シューベルトのピアノソナタを理解する:吉田秀和さんの言葉

昨日の記事で「続きは『吉田秀和作曲家論集〈2〉シューベルト』を読んだあとで考える」と書いたのだが、読んでいるうちに頭の中がいろんな言葉で溢れてきて、まとまりがつかなくなってきた…。




で、とりあえず、自分で考える前にメモ書き(読書メモ)を作ることにした。メモを作ると、その最中に本の内容を再吟味できるし、自分の考えも少しは進めることができる。

読んだ感想としては、さすが吉田秀和さん、参考になることや思わず頷いてしまうことがたくさん書いてある。まさに「すべての音楽ファンの"指針"」である。

以下「読書メモ(抜き書き)」。数字はページ番号。


11
シューベルトの音楽は、その心の深層から生まれ、そこに帰るべく指向していて、私たちが彼の音楽を聴くのは、その "彼の音楽" の行う旅の途上でなのだ。

14
彼のソナタで目立つことは、意外なほど同一楽想のさまざまな書き換え、ないしはまったく異なるもののようにみえる楽想の間に秘めやかな形で連鎖を与えておくことの巧妙さで、これは変奏の技法というよりもむしろ後期のベートーヴェンのソナタや四重奏にみられる、楽想の変容(メタモルフォーズ)と呼びたいような技法の結果であろう。

19
シューベルトにあっては、一つの和声の流れが幾通りもの旋律を作りだし、それが、音楽に憩い(同じ和音の繰り返しだから)と同時に流れ(しかし、別の旋律線と、それから音の位置が違うために生じる音色の相違が加わるために。また、同じ和声を使っても、それが小節の中でおかれた位置が違うことからアクセントにずれが生まれてくるために)とを付与するという、独自の魔法的な魅力につながってゆく。

23
シューベルトにとって、音楽は、言葉の深い意味で、「回想」であり、作曲とは何かを想い出すことにつながっていたのではなかろうか?

私たちが、シューベルトの音楽を聴いて、まず感じるあの "親しさ" "親密さ" の印象は、そこに根ざすのではなかろうか?そうして彼の有名な旋律たちが、どこからか発してどこかへ向かってつき進む前進の音楽でないことは、改めていうまでもないだろう。それは、むしろ日だまりでの夢見心地の想いであり瞑想である…。

27
これほど悲しみからくる絶望を手放しで、音楽に盛りこんだ人間としては、私は、シューベルトのほかには、マーラーしか知らない。

28
(シューベルト、マーラーの曲の長さについて)彼らには、すべてを言いつくしたと考えられない間は、やめてはならない理由があり、それは、外部にある形式上の規制とか慣習とかによっては止められないのだ。

91
シューベルトのソナタの主題的統一というものは非常に強力に働いていてその点ではベートーヴェン、ブラームスといったこの道の大家と、ほとんど変わらないくらいの高さに達している。…彼の器楽は、関連のない主題が多すぎるとか、繰り返しが頻発するとか非難する人は、ごく表面的な観察しかしていないことがわかる。

92
この音楽が、名技のためのものでは絶対にないということは別としても、これこそ本当に心の深いところから生まれた音楽だからである。
問題は、ただ心を弱くさらけ出す破目に陥らないようにすることだ。私はそういう演奏も嫌いだし、そういう聴き手も尊重しない。それはシューベルトを裏切ることでしかない。

96
シューベルトは " p の音楽家" である。…彼が、f と書いたら、それがはじめて、普通の音量に当たると考えて、まず間違いない。

99
ルービンシュタインのピアノの音は、いうまでもなく豊麗そのものだ。…その豊かな響きの中にも、上声の旋律とバスの安定はもちろん、内声がたえず室内楽的親密さと透明さでもって、よく聴こえてくる…。
…弦楽四重奏として書かれたといってもいいような書法…

99
シューベルトには、こういう「止まれ、しばし、お前はあまりにも美しい!」と呼びかけずにはいられない瞬間があるのは事実である。

138
シューベルトの音楽は、単に旋律が美しいとか清らかな魂の流露であるといったことではなくて、彼の天才的な和声感の微妙さが基本にある。…音色が、リズムや音程、音強とならんで、根本的な要素になっている。

139
(ソナタ第13番 D664 の第2楽章の出だしについて)これは、いわゆる四声和声体様式の簡単な音楽にすぎないのだが、旋律が上声部だけにある古典の音楽とも違うし、通奏低音によるバッハのコラールの和声体とも違う。各声部が独立し、ことに内声にも歌がある。その各声部を、レガートやスタッカートを混ぜあわし、水平の線でのつながりもはっきりつけながら、垂直の和声の意味も、たっぷり響きとして提出しなければならない。(→指+ペダル)
まるで四重奏のピアノ編曲だといってもよい。しかし、それがシューベルトのピアノの書き方なのだ。

159
シューベルトの音楽は、聴く人を説得するより、音楽家といっしょに、夢みるように、誘ってゆくものだ。


練習する(弾く)立場として参考にしたいと思ったことをいくつかあげてみる。


1. 同一楽想のさまざまな書き換え(変容)を意識する。

言葉を換えると「主題的統一」、あるいは各主題間の関連を感じることになるのだろうか。第1楽章の第1主題と第2主題も関連性があるという解説もあった(たしかCDのライナーノーツの一つに)。

また、ソナタ全体としては「循環ソナタ形式」の理解ということにつながると思われる。


2. 和声の流れに含まれる複数の旋律を意識する。

「四重奏のピアノ編曲」のように作られた部分での内声の動きや、複数の楽想が組み合わされた部分の弾き方を意識してみたい。各声部で音色を変えることなどは、私の技術レベルでは無理だろうが…。


3. " p の音楽家" であることを意識する。

ff が大きすぎないように、乱暴にならないように。また、「説得」するようにではなく、親密さを持って「誘う」ような弾き方を心がけたい。ただし、弱くはならないこと。


…こうして並べてみると、なかなか難易度の高いものばかりだ。音符どおりに弾けるかどうかさえ怪しい身としては、少なくとも「意識」だけでも持ちたいと思う。

それから、「止まれ、しばし、お前はあまりにも美しい!」と思う部分について、自己満足できる程度には「美しく」弾きたいと思っている。まずは第2主題…。

こういうことを意識した練習の中で、具体的な弾き方につながりそうなことが見つかるといいのだが…(^^) ♪



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