で、この映画の主役のピアノの先生(元ピアニスト)シーモアさん(セイモア・バーンスタイン)が書いたピアノの本が図書館にあったので借りてみた。
『心で弾くピアノ―音楽による自己発見』という本である。
まだ読み始めたばかりなのだが、内容が盛りだくさんなので、少しずつ感想文や読書メモを書こうかと思っている。今日はその第1弾で、タイトルをつけるとすれば
「つまらない演奏はどうやって出来るのか?」。
これまでに「なぜこんなつまらない演奏をするのだろう?」と思わざるを得ない演奏(もちろんプロの)に何度か(何度も?)遭遇してきて、その「なぜ?」が少しでも分かれば…と思いながら書いている。
参考:《「いい音楽・演奏とは?」を考えてみる…》
この本を読みながら、「つまらない演奏」の中身は、どうやら「音楽的感情表現が乏しい演奏」ということになるのかな?と思った。そうなる理由がいくつか書いてあるようだ。
まず一番の原因は「機械的練習」。メカニカルな正確さは必要だろうが、そればかりやっていると、結果としての演奏は音楽性に乏しいものになる。
「…細部にこだわりすぎると、本来の意図 ー 作品の情緒的内容に没頭すること ー からそれてしまいやすい…。…感情のない機械的練習からは正確さは生まれても音楽性が生まれることはない…。」
「練習の時から…ひとつひとつの動作に音楽的感情をこめていれば…」
…指が覚えたことを自動的に弾いているようなとき(この本では「自動パイロット」と呼んでいる)でも、自然と感情のこもった演奏になるはずだ。
リストも弟子のヴァレリー・ボワシエに、「練習曲を機械的にさわらないこと」「いつも心が表現されていなければならない」と注意していたそうだ。
そして、そうならないためには作品全体の音楽的な理解が必要となる。
「…ときに細かい練習をすべて止め、作品全体を弾き通すことが必要になって来る。…個々のパッセージの音楽的意味は、そのパッセージを含むより大きな構造と関連づけて初めて理解できるからである。それゆえ全曲を弾き通すことは、作品に対する愛情を深めるばかりでなく、作品を統一された全体像として捉えることに役立つ。」
通し弾きするときは、途中で止まらずにいかに少ないミスで弾きとおすことができるか、ということばかり気にしていた私としては、大いに反省が必要である…(^^;)。
そしてもう一つ、練習が機械的になる理由の一つに、練習や表現に対する勘違い?があるのではないか?
「しっかりした技術を身につけるには無味乾燥な機械的練習をしなければならず、感情はケーキの砂糖飾りのように最後に付け加えられるもの、と多くの器楽奏者は考えている。」
「一音符ごとに音楽の型を築きあげ、その積み重ねによって作品全体に対する自分の考えが表現される。」
つまり、音と表現は一つのものであって、無味乾燥な音を作り上げた上に「ケーキの砂糖飾り」のように付け足すのが「表現」ではないということだ。
やや横道にそれるが、ここで思い出したのが高橋アキさんの本に書いてあったことだ。→〈一つのピアノの音にすべてを込める…〉)
そこに出てきた印象的な対話。
ある識者:「まずは音符を正確に弾くことが基本、きちんと強弱もテンポも何もかもが仕上がったらその先にどう表現するか考える…と。」
高橋さん:「ええ、そんな!…そうやって分けては考えられない。一つの音に全部の要素が込められているはずだから、多少時間が余計にかかっても最初から全体を理解するように努めるべきじゃないか、と。」
ついでにちょっと自慢。このときの私のコメントもケーキにたとえている…(^^)♪
「あらためて考えてみると、音符どおりに機械的に弾くことと、表情をつける、表現するということは、別々のことではない。ピアノを弾く動作は一つだし、結果として響く音も一つなのだから…。
ケーキのように、スポンジの土台が出来たからその上に好きなデコレーションを載せましょう、というのとは違う。」
そして最後に、ミスタッチに関する箇所に書いてあること。
「音楽を伝える上で間違った音符は邪魔になるが、すべての音を正しく弾くために音楽的感情を犠牲にするのも困りものである。」
これは、ピアノコンクールに対する論評などにもよく出る話だが、録音・録画が普及したせいでノーミスが当然のようになってきて、ちょっとでもミスをすると、コンクールでは落とされて、CDレビューでは酷評されたりする…。
これは聴く側の責任でもあるのかもしれない。演奏を聴くときには、粗探しをする評論家ではなく、音楽そのものを楽しむおおらかな気持ちで聴きたいものだ。まぁ、ミスだらけの演奏は困るが、要はバランスだろう…。
…という感じで、とりあえずの感想文その1は終わり。著者も「この本はアイデア集」と書いているので、今回は、読みながら自分なりの感想を書いていきたいと思っている、ぼちぼちと…。
「この本はアイデア集である。読者の教師の代わりを務めようというのではなく、むしろこの本によって、新しい考え方に目を向けてもらい、自分の芸術に内在する無限の可能性に気づいてもらいたいのである。また音楽ばかりでなく個人的生活においても、常に周りのものに敏感に反応する状態でいるよう、読者にお勧めしたい。」
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