2014年10月9日木曜日

「ピアノ練習マゾ」ってあるのだろうか?

数日前の記事(《「悲愴」ソナタ:練習方法の作戦!》)で12カ所(パターン)の部分練習に集中することにした、と書いた。

で、それを実行中なのだが、思ったよりも楽しい。決して練習がはかどっているわけではないし、うまく弾けているわけでもない。むしろ逆だ。でも、楽しい、というか充実感があるのだ。…ん?、もしかして、これって「ピアノ練習マゾ」みたいなものか?




上の図はピアノのための筋トレ・マシン「ダクティリオン」というもの。(PTNA「 ショパン時代のピアノ教育」より引用)

ショパンの時代に実際にあった、ピアノを弾くための指を強化するマシンである。まさに「ピアノ練習マゾ」を絵にしたような機械だ。


これほどではないけれど、実は「指の筋トレ」はほぼ毎日やっている。主に風呂の中で、ヒマにまかせてやる程度ではあるが…。下記の参考記事で、私の筋トレ好きが分かっていただけるのではないかと思う…(^^;)。





それはさておき、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ第1楽章であるが、私にとって予想以上にチャレンジングな曲だったようだ。冒頭に書いた12カ所のほとんどが「難所」である。非常に難しい。

ところが、今、その部分練習が「楽しい」のだ。難しい箇所を四苦八苦しながら弾いて(弾けないで…)何が楽しいのか、と自分でも思う。なかなか押さえられない和音を練習したあとは、指が痛くなったりもする。それが楽しいというのは、やはりマゾなのかと思ってしまう。


これは、たぶん「手応え」とか「やりがい」の問題なのかも知れない。あるいは、「スポ根」ではないが、スポーツの練習と同じで、疲れるほど練習したとか、難しい技を練習したときとかの充実感と似たようなものかも知れない。

本当は、ピアノというのは「正しく」弾くべきもので、先生方やプロの話を読むと、「楽に」弾くべきものらしい。なので、今の状態が必ずしもいいとは思わないのだが、それでも練習途上では苦しみも当然あっていいのではないかとも思う。

何より「楽しめる」ということは、練習を続ける大きなモチベーションにはなるのだから。まあ、本当はもう少しレベルの高いところで苦しみたい、とは思うのだが。(そこに至るには、やはり苦しく楽しい練習が必要なのだろう…。)



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