(原田 英代 著、みすず書房、2014年7月)
※数字はページNo.
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第四章 ストレインジ・シューベルト
※2003年から10回にわたるシューベルト連続演奏会を開催することになった経緯
※山口昌男
※シューベルトのソナタはメロディ(歌)で構成→繰り返し
ベートーヴェンの素材に分割して再構築する方法は使えず苦労した…
メルジャーノフ「ある作曲家を知りたいと思ったら、その作品すべてを知ることだ」
山口昌男「シューベルトのピアノがかかわった作品を網羅した連続演奏会をやるべきだ」
182
シューベルトは音による詩人であり、役者であった。シューベルトは歌い、語った。
…歌曲において言語をそのまま音楽にした。これこそまさにシューベルトの斬新性である。
183
シューベルトのもう一つの斬新性は、こうした抒情的なメロディを器楽曲のソナタ形式の主題に用いたことにある。
ベートーヴェンの場合は最初に想念(イデー)があり、それをいくつかのモチーフで表し、つなげて第一主題にするという手法を使った。しかしシューベルトの場合は、最初に切れない抒情的なメロディが線として彼の頭に浮かんだものと思われる。そのため主題のメロディをバラバラに分解して使うことは困難であった。(ベートーヴェンのように展開できず長く悩んだ)
(ついに成功する)
シューベルトのソナタは、生成することを目的としない。過程こそが大切なのであり、過程にあるものをそのまま体験するのだ。ベートーヴェンの作品で最も大切な、モチーフによる葛藤を経て何かに到達するという概念はシューベルトにはない。結果を急がないシューベルトのピアノ・ソナタは、えんえんと似たようなメロディが続き、あれほどまでに長い作品になったのである。
(※…納得できない…)
ドイツの音楽学者で教育者であったユルゲン・ウーデ(1913-91)は言っていた。
「シューベルトの作品はオーストリアの風景に似ている。田園風景を眺めながら歩いていくと、また次の町が見えてくる。それは今までいた町とほとんど変わらない様子を見せているが、それでもやはり違うのだ。われわれはその町を通り過ぎて進んでいく。まるで何事も起こらなかったかのごとく。しかし、そのとき、われわれの内面では明らかに何かが起こっている。それがシューベルトの音楽だ。」
(※…subtle!)
〔3 共演者に恵まれて〕
185
♪ 共演者 ボロディン弦楽四重奏団(アンドレイ・アブラメンコフ時代)
186
元来、ピアノと弦楽器は溶け合わない。(ピアノも打楽器としてではなく弦楽器のように)弦に触れて音を出す感覚が必要なのだ。
私は彼らの音に耳を傾けているうちに、私のテクニックが「ポルスター・テクニック」と呼ばれるものに変わっていくのに気がついた。ポルスターとはソファのクッションなどをさす言葉で、指先の肉付きのよい部分をすべて使って弾く奏法である。…ピアノが徐々に弦の響きに溶け込むように…
〔4 シューベルトの歌曲を伴奏して〕
※詩の内容を表現するダイナミックレンジと多様な音色による描写
※言葉の韻律法と音の韻律法の関係、
※ローマン・トレーケル(バリトン)
〔5 人間の心を描く音楽〕
211
メルジャーノフは、音楽が人間の心の状態を描いていることを強調していた。音楽が描写しているのはたんなる出来事ではなく、人間の心の中にある感情、喜び、不安、憧憬、狼狽、愛情、困惑など、千差万別の感情を織り込んでいる、と言っていたのである。
同時に、元来、音楽が言葉以上に雄弁であることに気づかずにはいられない。
214
♪ シューベルト弾きのピアニストとして、私が好きなのはヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)である。
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