『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本を読んだ。小澤征爾さんと村上春樹さんの対談がメインであるが、なんというか「音楽」があふれている、「音楽」が今にも聞こえてきそうな本だ。最後まで楽しく読めた。
とても内容の濃い対談である。難しい話はほとんどないのだが、音楽的に豊かな会話がどこまでも続く。村上春樹さんがこんなにも、音楽に詳しいとは(失礼ながら)知らなかった。実に細かいところまで音楽を理解し楽しんでいる感じ…。それは例えば、次のような話に現れている。当然ながらことばの表現もいい。
(小澤さんの指揮による『幻想交響曲』(ベルリオーズ)の時代を経た三つの演奏について)
…トロントのときはまだ31歳で、傾向としては『前へ前へ』というパワフルな演奏ですね。…音楽がたなごころの上で跳ねて踊っている。…ボストンに行って、最高のオーケストラを得て、手のひらに音楽を包んで大事に熟成させているという感じがあります。…最近のサイトウ・キネンになると、その包んでいた手のひらを少しずつ開いて、音楽に風を通し、自由にさせているという印象を受けるんです。音楽そのものに自発的な余地を与えるというか。…
なので、どのページも非常に興味深い話にあふれている。しかも、お二人の語り口のテンポの良さに引っ張られて気持ち良く読み進める。少しだけ、読書メモからご紹介する。
村上春樹さんは、「良き音楽」という言葉をよく使う。デューク・エリントンのいう「世の中には『素敵な音楽』と『それほど素敵じゃない音楽』という二種類の音楽しかない」ということを素直に信じているようなところがある。
「僕は…音楽を聴くときは無心に耳を澄ませ、その音楽の素晴らしい部分をただ素直に聴き取り、体に取り入れようとする。素晴らしい部分があれば幸福な気持ちになれるし…」
(小澤征爾国際音楽アカデミーで、学生の弦楽四重奏がどんどん良くなっていくのを見て…)
「『良き音楽』ができあがるために必要なものは、まずスパーク(発火)であり、それからマジックなのだ。」
そして、小澤征爾さんは音楽家らしい表現で語る。
「間を置くって、結局はぐっと引きつけるわけじゃないですか。」
「音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです。」
「ここはもっと(意識して組み立てることを)やるべきなんだ。もっとディレクションをはっきりすべきです。」
「音楽を勉強するときは、楽譜に相当深く集中します。…ほかのことってあまり考えないんだ。音楽そのもののことしか考えない。自分と音楽のあいだにあるものだけを頼るというか…」
そして、メインディシュの対談以外にも、「美味しい」サイド・メニューが出てくる。
村上さんの「小澤征爾国際音楽アカデミー体験記」と、「大西順子×小澤征爾×サイトウ・キネンのラプソディー・イン・ブルー実現までの裏話」である。両方とも、音楽の本質に迫るような話でありながら、とても興味深く面白く読ませる内容・文章だ。(私の筆力ではご紹介しきれないのが残念…)
なんだか、弦楽器とか合奏もやってみたくなってきた。今からでは無理だろうが…。
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