2014年10月24日金曜日

ベートーヴェン「悲愴」を弾く「手応え」「やりがい」?

ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ、苦しみながらも楽しく練習している。のだが、今ひとつ自分の中で盛り上がりに欠ける(?)ような気がしている。これは何なのだろう?

ドビュッシーの2曲(アラベスク1番、ベルガマスク組曲のプレリュード)をやっていたときには、「手応え」のようなものを感じていた。新しい音の響きに出会えた喜び、あるいはその音を自分が出せているという「やりがい」のような感覚があった。

そういう感覚が、どうもベートーヴェンの場合は少ないようなのだ。


「聴き手」としては曲をよく知っている。なので、どの箇所もどういう音がするのか分かっている。で「弾き手」として一生懸命がんばって弾いてみるのだが、その結果出てくる音に新鮮さはあまりない。聴いていいなぁと思う曲を自分が弾くこと自体は嬉しいのだが…。

ちゃんと弾けても、そういう音がして当然、のようなところがある。逆に、弾けないところでは、頭の中でイメージしている音が出ないことがフラストレーションになる。技術的な難しさだけではなく、そういう悩み?もあるような気がしている。


もちろん「ちゃんと弾くこと」ができれば、それ自体は嬉しいことだ。

本当はその上でベートーヴェンが表現したものを少しでも感じ取り、自分なりに表現できるといいと思ったりもする。ただ、それは初心者がかろうじて音を拾っているような弾き方では難しいだろう。


で紹介したような、

「音楽は心を入れる器です。演奏はその心を伝えなければただの『音出し』で、人の魂に響きません。」

とか、

「クラシック音楽には、私たちの心を未来に向かわせるパワーがあるのです。……現代の演奏家によって新しい意味や価値が吹き込まれるのです。」

といったことは、頭では理解できても、自分が「新しい意味や価値」を吹き込むことができるとはとても考えられない。


まあ、そんなことは気にせずに「自己満足」できれば十分だと思ってはいるのだが、実際に練習していて感じる「手応え」はもう少しあるといいなぁ、と思ったしだいである。



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