※目次・紹介は→本「バレンボイム音楽論」:紹介
【音と思考】 その1
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●抜き書き(数字はページ番号)
12
私は音楽について言葉で語ることはできないと固く信じている。音楽に対する主観的な反応を言葉にしただけの音楽の定義が、これまでに数多く存在する。
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私は音楽について言葉で語ることはできないと固く信じている。音楽に対する主観的な反応を言葉にしただけの音楽の定義が、これまでに数多く存在する。
…それでもなお、私が音楽について語ろうとするのは、私はつねに、困難よりも不可能に惹きつけられてきたからだ。
音楽は…自分自身について、社会について、政治について―つまり、人間について―学ぶことのできる手段も与えてくれると確信している。
…音楽が魂の性格・品性にある一定の性質をあたえることは明らかである。
16
音が始まるまえに完全な静寂があれば、曲は静寂を中断するか、あるいは、静寂からしだいに発展するかたちで始まることになる。…ベートーヴェンのピアノ・ソナタ《悲愴》の出だしは、静寂の中断… 静寂から発展していく例の典型としては《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲…
また、最後の音が曲の終わりではない。最初の音がそれに先立つ静寂と結びついているのならば、最後の音はそのあとに続く静寂と結びついているはずである。…表現の最後の瞬間…
22
私たちは、…、音楽の内容とは正確にはいったい何なのか、…と考え続けることをけっしてやめてはならない。音楽を、数学的な内容だけ、詩的な内容だけ、あるいは、官能的な内容だけをもつものとして定義することはできない。音楽はこれらすべてであり、さらに多くを含むものである。音楽は人間のあり方とかかわっている。なぜなら、音楽とは人間が作曲し、演奏するものであり、人間とはみずからのもっとも内奥の思考、感情、印象、考察を表現するものだからである。
25
…演奏者はテンポを最後に決定すべき…。音楽の内容に本来的にそなわっているすべての要素を考察したのちにはじめて、どのような速度であればそれらの要素を表現できるか決めることができる。
26
音楽においては、すべてが恒常的、永続的に、相互に結びついていなければならない。音楽の演奏という行為は、曲に内在するすべての要素を統合するプロセスである。
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音楽自体のとらえ方がすごいと思う。(→抜き書きの赤字部分)「音楽は人間のあり方とかかわって」おり、人間にかんする様々なものを含んでいる。そして、音楽は、人間(自分自身、社会、政治、等)について学ぶことのできる手段を与えてくれる。
そして、「音楽の内容とは正確にはいったい何なのか」と考え続けることをけっしてやめてはならない、と諭す。人間は、よく分からないこと、とらえどころのない(あるいはとらえ方を知らない)ことに対して、安易に思考放棄したり、分かったつもりになることが多い。
音楽について、楽しみながらも考えることを継続したいと思う。
音楽に関する直接的な話(→抜き書きの青字部分)としては、テンポに関する説明はひじょうに納得できた。表現すべきことを表現できるテンポが存在するのだと思う。
また、演奏とは「曲に内在するすべての要素を統合するプロセス」という説明は、頭では何となく分かった気になるが、具体的にはどうすればいいのか、難しい課題である。これも「考え続けること」が必要な問題のひとつであろう。
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