昨日の続きで、ラフォルジュルネでの「マスタークラス」体験談である。
フィリップ・カサールさんによるピアノ公開レッスンで、曲目はラヴェルの「ラ・ヴァルス」。カサールさん自身も、ラフォルジュルネでドビュッシーを中心としたリサイタルを行っている。
私自身、どんな人か知らなかったので、HMVサイトで見つけた紹介文を載せておく。
「1962年ブザンソン生まれのフランスのピアニスト、フィリップ・カサール(カッサール)は、パリ音楽院でピアノ科と室内楽科で高い評価を受け、その後、ニキタ・マガロフらに師事、クララ・ハスキル・ピアノコンクールに入選し、1988年にはダブリン国際コンクールで優勝しています」
「カサールの演奏の特徴は、楽器の響きの特性を研究し尽くした上で、自在な解釈をみせる点にあり、これまでドビュッシーやシューベルト、シューマンなどの作品で高い評価を受けてきました。」
レッスンは、まず生徒さんが全曲を通して弾き、そのあと少しずつ先生が指摘・指導をしていくという感じで進んだ。(公開レッスンというのは、だいたいこんな進行だそうだ。)
その中で印象深かったのは、カサールさんのユーモアもそうだが、説明が具体的でとても分かりやすかったこと。イメージを語るのだが、それを具体的どうすれば表現できるか、テクニックや表情のつけ方・歌い方を、自分で歌ってみたり踊ってみたり、指を見せながら説明したり、たまに自分で弾いて見せたり…。
生徒さんが、言われたとおりに一生懸命に弾こうとするうちに、出てくる音楽がどんどん変わって良くなってくるのが、素人の耳にも明らかであった。もちろん生徒さんにもともと実力があるからであろうが、レッスンがまるでマジックのようであった。
そうやって一時間が瞬く間に過ぎてしまった。大げさに言うと「音楽の作り方」のプロセス・秘密を垣間見たような感動があった。とくに印象に残っていて、ためになりそうなことをメモしておきたい。
全体的に一番大事だと感じたのは、作り出そうとする音楽のイメージを持つことと、自分が弾いている音を自分の耳でよく聴くこと、という点である。ピアノのソロ演奏の指揮者は自分の「耳」である、という言い方が気に入った。ペダルも「耳で踏む」らしい。
それから、曲の出だしだけで半分近い時間をかけていたのだが、これは目一杯弾けばいいのではなく、聴衆をひきつけるための演出も必要だということや、音楽であること、つまり音楽で語ったり会話したりすることの重要さを強調されていたのではないかと思った。
最初の方の音は聞こえなくても構わない、という説明は新鮮であった。「無音」も音楽の一部。
文章で書くと長くなりそうなので、あとは箇条書きで…。
①ワルツのリズム、微妙なウワァーン(うねり・波・ゆれ・塊?)を感じること、表現すること。ロボットのぎくしゃくでなく、音楽的な拍子ということ?
②最初から手の内を全部見せない。最初は聞こえなくてもいい(無音で聴衆を惹きつける→期待感→)曲の構成の仕方とかクライマックスへの盛り上げ方?
③「歌って! シャンテ!」(この指示が多かった)それから「ブレス!」も。(フレージング、間合いということ?)
④フレージングの色々?(③とも絡む?)細かい強弱、アクセント、息継ぎ、左手の音量、メロディの際立たせ…。
⑤腕の力を抜いて重みをかけて(力を入れて硬くすると音も硬くなる)。ここは先生が弾いてくれたのだが、本当にびっくりするほど違った。生徒さんの音は硬くてうるさい、先生の音は音量はあるのに柔らかい。
⑥音色:そこは高音がきらきらするように、鐘の音が鳴るように。親指は一番重い指なので、小指の繊細さを。
⑦どう弾くかは楽譜に書いてある。(本当の読譜力?)
- スタカートじゃなくアクセント
- 三拍子の弱拍でも「アクセント+テヌート」は書いてある通りに
- 遅くしないでディミヌエンド、とか
- シンコペ・シンコペの緊張感から解決の安心感へ
…とまあ、振り返ってみると1時間でけっこうたくさんのことをやっている。音楽を作り上げるというのは大変な作業なんだなぁ、と改めて思った。
が、公開レッスンというのがこんなに面白いものとは知らなかった。これからも機会を見つけて参加したいと思う。
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