前半はシューベルトの「4つの即興曲」。
実は10日(Op.90)と15日(Op.142)のプログラムを勘違いしていて、てっきり Op.142 だと思っていたのだが、Op.90 の方だった!それに気がついたのは、リサイタル直前にカミさんと軽食をとっていたとき…。なんとも間の抜けた「びっくりポン!」ではある…(^^;)。
が、それはさておき、演奏はとても素晴らしかった。私の中のシューベルト像が変わるくらいのインパクトがあった。これを聴けば、シューベルトは「繰り返しが多くて少し退屈」などとは決して言えない…。
内田光子さんのイメージも少し変わった。CDやYouTubeなどの「音源」を通して聴く内田さんは、どちらかというと繊細な印象を持っていたのだが、繊細さに加えて力強さが半端ではない。しかも、大音量でも決して美しい音の響きが乱れない。
シューベルトのピアノ曲も、美しい「歌」だけではなく「激しさ」のようなものも持っていること、それを実際の音(音楽)として体験させてもらった幸せ♪ これは、interpretation(解釈)というよりも realization(具現化)と言った方が当たっていそうだ。
そして、圧巻だったのが後半の『ディアベッリ変奏曲』。あまり聴いたことのない曲だったので、アンデルシェフスキの演奏で「予習」していたのだが、まったく違う音楽に聴こえた!
アンデルシェフスキの演奏もいいのだが「好演」というか、がんばっている感じが見え隠れする。内田さんは、ベートーヴェンの音楽そのものを手中に収めている感じ。
この曲自体、正直それほどいいとは思っていなかったのだが、それは単にこういう演奏を聴いたことがなかったから、だったのだ。(楽譜を見て音楽をイメージする能力は残念ながら持ち合わせてないので…)
その素晴らしさを言葉で表現できないもどかしさもあるが、しょせん言葉で表現できないものを天才音楽家たち(ベートーヴェンとか内田光子さんとか)が「音楽」で表現したものだと思って、諦めることにしよう。
ひとつだけ言えるのは、これまでピアノ曲を聴くときには音(音色、音響)に一番の興味が向いていたのだが、音楽とはそれ以上のものであるらしいこと、その音楽そのものを体験することができた、ということだろう。
…それでも、理工学系の頭が勝手に分析を試みているようなので、もう少し書いてみる。
感じたのは、まず「ダイナミックレンジ」の幅の大きさ。
小さな音のレーザービームのような美しさと、ピアノ全体(いやホール全体)が強靭な響きを放つような大音量。それが、あるときは一瞬にして変化し、あるときはうねりのように迫ってくる。それらが、音楽的な説得力を持ちながら心を揺さぶる。(…という感じだろうか…)
それともう一つが「音の塊(かたまり)」の存在感のようなもの。
どちらかというと、一つ一つの音がくっきり聴こえる演奏の方が好きなのだが、内田さんの演奏は必ずしもそうはなっていない。細かい音の速いパッセージがまとまって「音の塊」のように響いてくる。しかし、それが音楽の流れの中では実にしっくりと収まって聴こえる。(個人的にはちょっとしたカルチャーショックかもしれない…)
そして、聴き終わったあとに感じたのは、内田光子さんの演奏の吸引力というか魅きつける力(本当の意味の「魅力」)。とても集中して(たぶん感動して)聴いていた自分を発見したのだ。帰りの電車の中では、たぶんその反動の疲労感があったくらいだ。
最後に思ったのは、ピアノという楽器、ピアノ音楽の可能性の大きさであり、人間がここまでのことができるんだという驚きである。やはり、内田光子は「神領域」のピアニストである。別次元だと思った。
大満足の演奏会だっただけに、いま自分が練習している曲(シューベルト Op.142-2)の、次元の違う演奏を聴きたかった…(^^;)。
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