2014年7月31日木曜日

近現代のピアノ曲をもっと聴こう!

以前から現代音楽(ピアノ曲)、とくに現在活躍している作曲家の曲に興味がある。今の時代の音楽家たちがどういうことを考えてどういう曲を作っているのか、その曲はどういう新しい響きがするのか、…など。


ところが、「現代音楽」というのはかなりとっつきにくい。なぜか妙に深刻ぶっていて、人を驚かすような音を多用して、聴いていてあまり気持ちよくならない(ものが多いと思う)。

音楽というのは、やはり聴いて楽しむもののはずだから、嫌な気持ちにはなりたくないのだ。

ただ、慣れという問題もあって、何度も聴いているうちに耳に馴染んできて、とっつきにくかった音楽が「お気に入り」の音楽になっていくということもあると思う。

モーツァルトの時代の音楽愛好家がドビュッシーを聴いたら、びっくりして拒否反応を起こすに違いない。現代の我々がドビュッシーの曲をいいなぁと思うのは、聴きなれているという要素もあると思われる。


…ということもあり、1ヵ月ほど前から、現代ピアノ曲を少しYouTubeで聴いて、比較的気に入ったものを「収集」することを始めた。どういう曲があるのか探索することと、自分自身の耳を現代音楽に馴染ませるということが目的である。




一方、いまドビュッシーの曲を練習していることもあり、『ドビュッシー:前奏曲集第1巻&第2巻』のCDをじっくり聴き始めた。そこで、少し感じたことがある。

当然といえば当然なのだが、ドビュッシーの音楽はかなり「現代音楽」に近いところがある。たとえば、前奏曲集第2巻の最後の曲「花火」などは、とくにその出だしは、私には「現代音楽」に聴こえたのだ。そして、それを聴いたあとで、現代ピアノ曲、例えば西村朗の「カラヴィンカ」を聴いてみると、まったく違和感がない。

昨日の《ドビュッシー「プレリュード集」について》でも書いたように、少しドビュッシーの曲を聴いてみようと思っているが、現代音楽への「橋渡し」としての「近現代」といわれる音楽家の曲も少し聴いてみようと思った次第である。


とりあえずは、ドビュッシー、ラヴェル、スクリャービン、プロコフィエフ、ラフマニノフあたりをちゃんと聴いてみようと思う。このあたりの音楽を聴きなれたあと「現代ピアノ曲」がどう聴こえるのかが楽しみである。

それにしても「近現代」という区分はよく分からない。ふつうは「近代」→「現代」と分けるのではないのか? 「現代音楽」という言葉も「現代の音楽」というよりは、少し特殊な使い方をされているような気がする。

このあたりを誰かすっきりと説明してくれると嬉しいのだが。ちなみに、Wikiでも、「近代音楽」と「近現代音楽の作曲家一覧」と「現代音楽」という項目がある。



【関連記事】
《ドビュッシー「プレリュード集」について》


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