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[4] 1995.10.7 ニューヨークでの対談(p.106~149)から
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■ ワーグナーの音楽について
まず、「音響」についてのワーグナーのこだわりについて語られている。このあたり、バレンボイム自身がよく語る「鳴り響く大気」とか「サウンド」につながる話だと思われる。
「ワーグナーは、アコースティック(音響)について、深い理解、あるいは直感を持っていた。アコースティックとは「室内に音が存在すること、時間と空間の概念だ。ワーグナーは実際、この概念を音楽的に発達させた。」
次に「感知できないほどの速度の変化」についての話になるが、正直言って、よく分からない。音楽を表現するに当たって、程度の差はあるにしても「速度の変化」は必然だと思うのだが…。「感知できないほどの」という部分が重要なのかもしれない。
「必然的なテンポの柔軟性という考え、古典派のテンポの中にも、感知できないほどの変化があるという考え方を発展させることだ。…すべてのシークエンスが独自の旋律(メロス)を持っており、それぞれに固有の内容を表現することを可能にするために、感知できないほどの速度の変化を必要としたのだ。」
もう一つが「サウンドの連続性という概念」だそうだ。これもバレンボイムがよく語る「音楽は静寂から始まり静寂に終わる」という話や、「音楽(サウンド)は静寂に逆らって鳴りつづける」といった話につながるのかもしれない。
「ここ(サウンドの連続性という概念)から出てきたのが、音響の色彩という概念であり、音響の重量という概念だ。」
最後に、「迷ったという感覚」の話。
「彼(ワーグナー)は僕らに(テンポ、強弱、和声などによって)道に迷ったという感覚を与えたがる。そこから連れ戻してやって、大きな安心感を与えるためだ。」
これは、調性音楽での「未解決(和音)」から「解決」というパターンが、テンポや強弱や、もっと大きな範囲や種類の「未解決→解決」に拡大されたことを言っているのであろうか。聴く側の情緒からいうと「不安→安堵」ということになる。
この話は、現代音楽を理解するうえでのヒントになりそうな気もする。
■ ワーグナーの音楽について
バレンボイムは、ワーグナーに対する態度は実にはっきりしている。その音楽については非常に高く評価しており、頻繁にワーグナーを演奏している。一方で、人間(または反ユダヤ主義者)ワーグナーに対する態度も明確である。
「人間としてのワーグナーは、もうまったくひどいやつで、卑劣な人間であり、ある意味で、彼の音楽作品と一つにまとめて考えるのはとても難しい。…彼の音楽は気高くて、寛大だ。」