(高橋アキ、2013年、春秋社)
PART 1 レパートリーと共感:その1(対談部分)
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ある識者いわく、まずは音符を正確に弾くことが基本、きちんと強弱もテンポも何もかもが仕上がったらその先にどう表現するか考える…と。
ええ、そんな!…そうやって分けては考えられない。一つの音に全部の要素が込められているはずだから、多少時間が余計にかかっても最初から全体を理解するように努めるべきじゃないか、と。
※識者の言い分ももっともらしく聞こえるし、よく聞く話である。が、ここはアキさんに賛成。というか、ちょっとした「目からウロコ」である。
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※「21世紀に残したい20世紀の作品」というアンケートに対するアキさんの答え
→早坂文雄《室内のためのピアノ小品集》
※聴いてみなくては
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私が今、好きで結構弾いているのって、サティはずっとやっているし、それからフェルドマン、それとシューベルト。すごく関連性があると今にして思う。
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フェルドマンが三つの音をちょっとずつ変化させながら繰り返しているのと、シューベルトがメロディを長調にしたり短調にしたり、レジスターを変えたり、細かい変化をつけているところ。同じような小さなモチーフをくりかえしくりかえしやっているところなんか、すごくにているんじゃないかと思う。
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今の時代とも合っているんじゃないかしら。…簡単に言うと、弁証法的な作りの音楽の対極にある女性原理の音楽、常に前進!という音楽ではなく、ただよい、たゆたっている優しい音楽。
※個人的には「弁証法」が好きかも…
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アルヴィン・ルシエ「ぼくの音楽は演奏するよりも聴く要素が強い、だから聴くことが演奏になる、だから耳が良くなければ良い演奏ができない」
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裕治がクセナキスの《エオンタ》をやったんです。…
前衛精神がどんなものか、観念的に思い込んでいたのが一掃されてしまった。アタマで考えてこしらえたものは元来そんなもので、どんなに先鋭化し、複雑化していっても、それはそれみたいな…。同じ知の営みといっても、それが音響として実に興味深いものがある。
※知の営みが音響として表現される、あるいは音響が知を表現する、していると感じる、とはどういうこと(リアリティとして)か
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