高橋アキさんの『パルランド 私のピアノ人生』という本をだいぶ前に読み終わって、感想文を書こうと思ってメモまでは作ったのだが、なかなか書けずにいた。
理由を考えてみると、一つは長いインタビューと過去のいろんな記事を集めた本なので、話題が多岐にわたっていること。もう一つは、文章を読んでなるほどと思ってその曲を YouTube で聴いてみると、音楽の印象(私の感じ方)は違っていたりすること。…などかなと思う。
…とはいえ、音楽やピアノのことに関して、いろいろ面白いことや考えさせられることが多かった(一部は下記記事)。
今回は一応「読後感想文」ということで書いてみようと思うが、結局は上の二つと同じようなトピックス的な話になりそうだ…。
ベートーヴェン(の音楽)の功罪?
ベートーヴェンの音楽についての高橋アキさんの言葉。
「彼の作品をピアノの上に移すとき、それはごく自然に聴こえる。…ピアノという楽器そのもののために書いていることにもよるのだろう。…それでいながら、音色はまるでシンフォニーのピアノ版とでもいったように実際には出せない音を想像させる。」
「ベートーヴェンは、…広く未来を含めた不特定の「人類」のために、普遍化しうる音楽を刻苦勉励して作曲し続けようとした。」
しかし、のちの人々がベートーヴェンを理想像として、ひとつの「芸術至上主義」のような型を作り出してしまい、それが現代まで「足枷」となってしまっているとアキさんは指摘している。
「…芸術に対する根本の考え方という点では、日本人の作品も含めて、西洋音楽はいまだにベートーヴェンの敷いたそのレールの上を走っているものが多いように私には思えて仕方ない。」
現代に生きる我々は、知らず知らずに囚われてしまっているそういう足枷から自由になる必要がある。
高橋アキさんは、「ベートーヴェンを見直し、新しい価値を発見しつつある」最近のピアニストたちや、現代曲に先入観なく「のってくる」子供たちにその可能性を見出しているようだ。そういう可能性がもっと広がることを期待したい。
ベートーヴェン v.s. サティ
高橋アキさんの好みは「サティ、フェルドマン、それとシューベルト」といったあたりらしいが、この3人の作曲家に共通するのは「女性原理の音楽」であるらしい。
「フェルドマンが三つの音をちょっとずつ変化させながら繰り返しているのと、シューベルトがメロディを長調にしたり短調にしたり、レジスターを変えたり、細かい変化をつけているところ。同じような小さなモチーフをくりかえしくりかえしやっているところなんか、すごくにているんじゃないかと思う。」
サティを代表とするこういう音楽は、「男性的・弁証法的」なベートーヴェンの対極にあると言ってもいいかも知れない。
「今の時代とも合っているんじゃないかしら。…簡単に言うと、弁証法的な作りの音楽の対極にある女性原理の音楽、常に前進!という音楽ではなく、ただよい、たゆたっている優しい音楽。」
…なるほど、と思いつつ、個人的には「弁証法的」なベートーヴェンの音楽が好みである。シューベルトも2曲ほど弾いてみて、今回の選曲候補にサティも入れていたのだが、まだ今ひとつピンとこない。
それはさておき、「サティ」的な音楽は発展途上にあるのではないかと思ったりした。
サティの「家具の音楽」から、ミニマル・ミュージックや「ポスト・クラシカル」などに発展してきたという説もあるようだし、その中のマイケル・ナイマンやアルヴォ・ペルトなどは結構いいと思う。
ただ、聴いていてなかなかいいなぁと思いつつも、どうも今ひとつ物足りなさを感じてしまうのだ。なので、この先にもっと大きな発展があり、すごい作品が生まれてくるのでは?と思ったりするわけだ。
でも、それは私自身が「弁証法的」音楽こそ正統な音楽、みたいな「足枷」にどこか囚われているせいかもしれない…。
ピアノにしか作れない音楽
同時代(現代)のピアノ音楽にとても興味がある。ただ、それほど多くの作曲家・作品を知っているわけでもなく、その良さを理解できているわけでもない。
YouTube を聴いて、お気に入り候補の曲を集めてみたりしたこともある(↓)のだが、なかなかこれといった曲と出会えていない…。
この本を読んで、新しいピアノ音楽の一つの可能性を感じた。
それは簡単に言うと、「歌を追いかけるピアノ音楽」から「ピアノという楽器の音・響きを活かした音楽」へ、ということになる。
「歌を追いかけるピアノ音楽」とは、人間の歌が最上の音楽であり、よいピアノ曲(演奏)はそれに近い音楽を作り出せるもの、という方向。この本の中では、次のように説明されている。
「…例えばクラシックのピアノ曲の大部分が、オーケストラや人間の声の代用品の役割をピアノに押しつけて、その足りないところを人間の想像力による錯覚で補わせている…」
それに対して「ピアノという楽器の音・響きを活かした音楽」というのは、ピアノ自体の音や響きをそのまま活かして、その音響を最高の組み合わせで組み立てた音楽、といったイメージである。
そのまま活かすと言っても、もちろんピアノから一番いい音を引き出すこと、その可能性を最大限に活かすことはもちろんである。
具体的な音楽がイメージできている訳ではないが、そういう方向に可能性があるかも知れないと感じたのだ。そう感じたきっかけとなった箇所を、この本から抜き出してみると…。
「個々ばらばらな(ピアノ固有の)音を集めて組み立てていくそのやり方に、新しいピアニズムを感じて感嘆していた…」
「音を聴くことによって考える。それによって新しい感受性がまた開かれていくということが必要なのだ。」
「私にとってドビュッシーは、ピアノという楽器から音響=詩をひきだすための耳を通しての訓練である。」
「ピアノの音響を活かした音楽」はすでにあるのかも知れない。そういうピアノ音楽に出会いたいと思う。
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