久しぶりにラヴェルを聴いた。曲は「鏡」と「水の戯れ」。
で、ちょっと驚いたことが起きた。
iPhone に入れている曲なので、何度も聴いている演奏なのだが、とても新鮮に素晴らしく聴こえたのだ。まるで「現代音楽」を聴いているような感覚と、とても豊かな音楽を感じたのだ。
なぜだろう?と考えながら聴いていたのだが、ひとつ思い当たったのは、最近「現代ピアノ曲」をよく聴いていることだ。「日本の現代ピアノ曲を探す」シリーズと勝手に名前をつけて、日本人作曲家のピアノ曲を片っ端から聴いている(YouTube で見つかる範囲だが…)。
現代的なピアノ音楽をたくさん聴くことで、一つはそういう音(音色・ダイナミクス・リズムなど)に慣れてきたのではないだろうか。もう一つは、これまで何となく「現代音楽」を十把ひとからげに捉えていたものが、しだいにその中の「違い」が分かるようになってきたのではないかと思う。
「日本の現代ピアノ曲を探す」シリーズでは、自分の好みで感覚的に判断しているだけなのだが、耳は私自身の意識とは関係なく「進化」しているのかも知れない。(そうだと嬉しい♪)
そういえば何かの本で、
「バッハは、ベートーヴェンやショパンやドビュッシーの音楽を知らなかった。逆に、バッハ以前の音楽は熟知していたはずだ。そういう環境で、バッハはあのような作品を作曲したことを考えてみることには意味がある。」
といった趣旨のことを読んだ覚えがある。
これまでの作曲家たちは、それまでの音楽を学び、何度も聴いたり演奏したりした耳と頭脳で新しい音楽を創り出してきたのだ。それが音楽史の積み重ねになっている。
そして、私たちはその最先端にいる。…と考えると、ますます現代ピアノ音楽を知りたくなってくる。
それにしても、ラヴェルはいい! これまでも好きだったのだが、さらにその良さが分かるようになった気がする。
バッハ、ベートーヴェン、ショパンなどに慣れた耳で聴くラヴェルと、現代音楽をある程度聴いてから聴くラヴェルとではこんなに違って聴こえるのか、という嬉しい驚きであった。
「鏡」を他の現代ピアノ曲の中においてみると、その響きの美しさ・豊かさが際立ってくるのだ。
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