■ マスタークラスの内容
今回の先生はマリー=カトリーヌ・ジローさん。(プロフィールは下記記事参照)生徒さんは上野学園の2年生。
曲は、ドビュッシーの前奏曲集第1巻より「音と香りは夕暮れの大気に漂う」と「アナカプリの丘」、それにバッハの平均律第2巻より第24番。(4曲もできるの?と思っていたら、やはりほとんどドビュッシーだけで終わった。バッハで苦戦中の私としてはちょっと残念…。)
レッスンはもちろんフランス語。通訳つきだが、なかなかしんどかった。昨年のフィリップ・カサール先生は聴衆に向かって、通訳を意識しながら話してくれたので分かりやすかった。
ジロー先生は、本気のレッスン・モードで、ほとんど生徒と鍵盤に向かっていろんな改善点などを指摘しながら、どんどん進んでいく。
それでも、指導が進むにつれて、私でも分かるレベルで演奏がよくなっていくのが分かる。最初の演奏も悪くなく感心して聴いていたのだが、どちらかというと優等生的であった。
お手本のような柔らかな手首の使い方できれいに弾いていたのだが、ドビュッシーはどうもそれでは不十分なようだ。
■ レッスンでなるほどと思ったこと
私のようなよく知らない者にとって、ドビュッシーのイメージは「月の光」であり、音の響きのきれいさや印象派のような描写音楽である。音としては柔らかく、テンポもルバートで、という感じを持っていた。
ところが、ジロー先生の指導はそのイメージをことごとく壊していった。
まず、きれいなタッチと思った手の動きに対する指摘である。低音のしっかり響かせるところでは、指先ではなくゆびの腹でしっかり抑えて、手首も固定し、すぐに指を上げないような弾きかたを指導する。
高音のキンという鋼のような音が必要な箇所では、ここも手首をしっかりして指を立ててしっかり押さえる感じ。
たしかに、和音が響いているなかで大事な音を際立たせる必要があるのは分かるが、思った以上にしっかりした音が要求されるのが印象的であった。
もうひとつは「拍感」に対する厳密さの要求。ともすると流されやすくなるドビュッシーの音楽に対して、しっかりした拍を刻むことが重要だという指摘。
これは「へーっ、そうなんだ!」という感じ。ドビュッシーの音楽は、必ずしもふわーっとしたものではないと、ちょっとイメージが変わってきた。
その他、私に分かる範囲(音楽も指導もちょっと難しかった!)で印象に残ったこと。
- 右手の高音と左手の高音を別のパーソナリティで弾き分けるように
- 和音はボリューム感をもって(高音だけでなく)響かせること
- クレッシェンドをあせらないこと
クレッシェンドやディミヌエンドでは、出だしから少し遅れるくらいから始めるのがいい、という説明は前にも聞いたことがある。そうしないと、例えばクレッシェンドの最大音量の地点に達する前に息切れしてしまうのだ。
それから、ドビュッシーは楽譜に細かい指示をたくさん書き込んでいるので、練習するときはまずその指示を細大漏らさず実行することから始めなさい、ということであった。それだけでも大変そうだと思った。
なお、バッハについては、いろんな解釈・スタイルがあるとしながらも、あまりメンデルスゾーンみたいな弾きかたはしない方がよいというご意見。技術的な指摘は、16分音符4つの最後の音が小さくなるくせがあるので注意しなさい、という一点であった。
■ そのほかの感想
「マスタークラス」なので仕方ないのだが、もう少しやさしい曲の公開レッスンのようなものがあると、個人的には嬉しいのだが…。しかし、すべては消化できないながら、今回も十分に有益であったし、楽しめたのでおおいに満足である。
ひとつだけ思ったのは、手元を撮るカメラを置いて、大型スクリーンにでも映してもらえるとありがたいと思った。とくに、今回のように生徒さんとの間で、手はこうした方がよい、などという説明は手元をみないとさっぱり分からないので…。
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