出典:
『フランス音楽史』
今谷和徳、井上さつき 著
春秋社 (2010/2/26)
※とりあえず「アルカン以降」を中心にメモを作成する。シャルル・ヴァランタン・アルカン(Charles Valentin Alkan、1813年11月30日-1888年3月29日)はフランスのロマン派の作曲家、ピアニスト。
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【年表】
1822 ピアノ製作者エラール、ダブル・エスケープメント・システムを開発
1823 リスト(11歳)、パリに居を定める
1828 パリ音楽院演奏協会設立、ベートーヴェン作品が人気
1831 ショパン(21歳)、パリに居を定める
1855 第1回パリ万博
1861 ヴァーグナー《タンホイザー》パリ初演、歴史に残る大失敗
1871 国民音楽協会設立、翌年からサン=サーンスが会長(~1886)
→「アルス・ガリカ(フランスの芸術)」を旗印に
→1914年の中断まで400回以上のコンサート(フォーレ、シャブリエ、ドビュッシー、ラヴェル等)
→初演としては、
1883 フランク《のろわれた狩人》
1885 ショーソン《ヴィヴィアーヌ》
1894 ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》
1897 ポール・デュカ《魔法使いの弟子》 など
1886 国民音楽協会新体制へ(会長:フランク、ダンディ、ショーソンら)
→フランス以外の作品も演奏
1894 ダンディら、スコラ・カントルム設立、フランク派の砦へ
→アルベニス、デュカ、アルベール・ルーセル、セヴラック等排出
1896 フォーレ、パリ音楽院作曲科教授
→ラヴェル、ケクラン、ジャン・ロジェ=デュカス、シュミット、ジョルジュ・エネスコ等輩出
1901 ラヴェル《水の戯れ》
1902 ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》初演
1903 ラヴェル《弦楽四重奏曲》作曲
1905 ラヴェル事件:ローマ大賞落選
1905 フォーレ、パリ音楽院院長就任
1905 ドビュッシー《映像第1集》
1909 ラヴェル、フォーレとともに独立音楽協会を設立
1913 ストラヴィンスキー《春の祭典》初演
1914 第一次世界大戦始まる
1918 サティ《ソクラテス》初演
1919 六人組、コンサートを始める
1932 トリトンのコンサート始まる
1936 メシアン、ジョリヴェら「若きフランス」結成
1939 第二次世界大戦始まる
1940 フランス、ドイツに降伏、パリ占領~1944
1941 メシアン《世の終わりのための四重奏曲》作曲(収容所にて)
1942 プレイヤードのコンサート始まる
1944 パリ解放、ドゴール臨時政府
1947 メシアン、パリ音楽院の分析のクラス担当(1966~作曲科担当)
→ピエール・ブーレーズ、ジャック・バラケ、マリユス・コンスタン、ヤニス・クセナキス、ピエール・アンリ、ジャン=ルイ・マルティネ、丹波明、ジルベール・アミ、等輩出
1950 シェフェール/アンリ《一人の男のためだけのシンフォニー》
1951 ブーレーズ《ストリュクチュール第1巻》
1954 ヴァレーズ《砂漠》
1956 アンリ《高電圧》、クセナキス《ピソプラクタ》
1958 EEC(ヨーロッパ経済共同体)誕生
1965 デュティユー《メタボール》
1968 ローマ賞コンクール廃止(文化担当大臣マルロー)
1970 ブーレーズ、後のIRCAM(1977~)の指導運営を政府より任される
1973 ミュライユらイティネレールを設立、スペクトル楽派の誕生