上の図が、その記事からお借りした「通知内容」である。ドビュッシーのピアノ曲の中で、上記 2つの曲が "no longer to be assigned/performer at SMS"、つまり、今後は練習曲として指定されることも、演奏されることもない…と読める。
"SMS" というは "the Special Music School at Kaufman Music Center in NYC" のことで、幼稚園から高等学校までの音楽学校のこと。
二つの曲が禁止された理由は、黒人("Golliwogg"、"Negre")が登場するからだと思われる。"racist connotations"(人種差別主義者の意味合い)という表現も見えるので、これらの作品が人種差別的だと判断されたからなのだろう。
しかし…である。果たしてこの二つの曲は「人種差別的」なのだろうか?
ドビュッシーが、3歳になった愛娘 "シュシュ" のために作ったピアノ曲集「子供の領分」。その中で、シュシュが大好きだった人形「ゴリウォーグ」が踊りだすイメージで作曲された曲の、どこに「人種差別」の匂いが感じられるのだろうか?
こんなに優しい気持ちで作られた曲はあまりないのでは? ドビュッシーも「子供の領分」も好きなので、余計に悲しい気持ちだ…。
参考✏️こどもの領分(らららクラシック)
「ちびくろサンボ」がやり玉にあげられて、本が絶版にまで追い込まれたのは半世紀ほども前のことだ。今は復刊されているようだが…。
いまだに、こんなことが起きてしまうのは本当に悲しいことだと思う…😢。
ちなみに、この本は子供の頃に読んで、虎がバターになる場面が印象的で好きな絵本の一つだった…(^^;)。
アメリカ(とくにニューヨーク?)には、もっと深刻ですぐにでも解決すべき "racist connotations" に関する問題が山ほどあるように見えるのだが…。
それにしても、「子供の領分」の 6曲をまとめて弾くピアニストは多いと思うのだが、この学校では「子供の領分」をとり上げる時には、5曲目までで「おしまい!」ということになるのだろうか? それとも「子供の領分」そのものがなかったことに…(^^;)?
この 4年間のアメリカの人種差別的傾向から、その問題を解決して「平等」の方向に向かうのはとても歓迎すべきことだとは思うのだが、少なくともこの件についてはちょっと行き過ぎではないか?…と個人的には思う。
ドビュッシー自身が弾いた「子供の領分」(↓)を聴きながら、こういう動きが広がらないことを切に願っている。
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