先日、《ベートーヴェン:ソナタ13番「心地よく弾く」を目指す ♪》の記事に戴いたコメントに対する返事に、何気なく「曲の仕上がり」のことを書いた。
記事には「ラクに弾く、気持ちよく弾くことはとても大事なことだと思う。それがあるからピアノの練習は楽しいのだと思う」と書いた。
jjsdg さんに戴いたコメントは「心地好さがメルクマールかもしれませんね」というもので、それに対する私の返信が下記のようなもの。(メルクマール=指標、判断基準)
曲の仕上がりを判断するのに「自己満足」を一つの目安にしています。
技術的には「ラクに弾ける」こと、
気分的には「心地よく弾ける」こと、
…ですね ♪
あとで読み返して、自分で書いていて可笑しいのだが…(^^;)…「ナルホド!」と思ったのだ。
私のような独習者には「この曲はこれ位でいいでしょう」と言ってくれる先生がいない。なので、取りかかった曲をどの辺で OK を出して次の曲に進むのか、真面目に考えるとなかなか難しい。
もちろん普段は真面目に考えてないので、なんとなく同じ曲を練習するのに飽きて来て…、もうこれ位でいいか…、これ以上練習してもあまり進歩しそうにないし…、などという感じで次の曲に進んでいる。
ちょっと言い訳じみたことで「自己満足」などと言ってみるのだが、どことなく後ろめたい気持ちがすることもあった。
それが、「自己満足」というのは「技術的にいうとラクに弾けるようになったこと」「気分的にいうと心地よく弾けるようになったこと」というそれらしい判断基準、まさに「メルクマール」(Merkmal:ドイツ語)ができたのだ…(いつの間にか…)♪
ちなみに「気分的」というのは、「自分が持っている曲のイメージを音楽として表現できたかどうか」というのを大雑把に短く言ってみた言葉である。
この基準のいいところは、「ラクに」も「心地よく」も自分自身である程度判断できることだ。先生に聴いてもらって判断してもらわなくても、自分の中で分かることなのだ。
そんな主観的なことでいいのか!?というお叱りの言葉が飛んで来そうな気もするが…。その辺は、趣味で楽しみのためにやっていることなので…と言い訳するしかない…(^^;)。
まぁ、これで一件落着というわけではなく、これからもあれこれと悩んでいくような気もするが、とりあえず一安心?できたような気がしている。
実は、ずいぶんと前から同じようなことを悩んでいる。…というのが、自分のブログを検索してみて分かった。
ブログ内検索で「仕上がり」を検索した結果がこれ(↓)だ。その中から主な記事を読み返してみた。(以下、ご参考…)
2013/9/15《曲の「仕上がり」を見極める?》
→「自分の今の実力ではこれが限界」という「仕上がり」とは程遠いことを言っている…(^^;)。
2014/7/27《ピアノ練習の悩み3:曲の仕上がりを見極める》
→「自分の思うように弾けること」が重要。だけど客観的な視点も必要かも?と悩んでる。
2015/2/18《曲の仕上がりレベルの評価》
→[練習履歴] に「A=発表会OK?、B=自己満足、C=不満、D=挫折」の評価を書くようにした。
2015/11/16《近況:曲の「仕上がり」レベルをどう判断するか?》
→シューベルトの即興曲 op.142-2 について具体的な仕上がりレベルを分析しているが…。
2016/9/29《大人のピアノ:選曲・難易度・仕上げレベル》
→「自己満足の基準を下げて…弾きたい憧れの曲」(当然難しい)もやってみるか…という方向転換。
2016/12/1《改めてピアノの上達とは?…どこを目指すのか?》
→上記で「方向転換」したわりには、またしても、「比較的簡単な曲を完璧に仕上げる」か「難しい(弾きたい)曲を自己満足できる程度に弾けること」かで悩んでいる。
…現時点では一応「難しい(弾きたい)曲を自己満足できる程度に弾けること」を目指してはいるのだが…。で、
自己満足=ラクに弾ける+心地よく弾ける
というのを今日時点の一応の結論、ということにしておこう…(^^)♪
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