✏️だからクラシックは嫌われる?Part.2 ≪同曲異演盤の功罪≫
これは「だからクラシック音楽は嫌われる?」というタイトルの "Part.2" で、"Part.1" を見ると「前衛さん」が槍玉に上がっている。
✏️だからクラシックは嫌われる?Part.1 ≪前衛さんたちの失敗≫
この "edy classic" というサイトは初めて見るのだが、ちょっと面白いかもしれない ♪
タイトルのところには「もっとクラシック とことん吹奏楽」とあるので、吹奏楽に関する記事が多いのかと思ったがそうでもなさそう。「クラシック音楽をナナメに切り取るウェブメディア」とも書いてあって、「独自の視点」を強調している。
編集部や決まった評論家などが書いているのではなく、一般から公募している「ライター」さんが書いているようだ。音大生、演奏家、作曲家、音楽評論家、クラシックファンなど多様な人たちの記事がある。
「だからクラシック音楽は嫌われる?」の記事に戻ると…。
"Part.1" では「前衛さんたちの失敗」が取り上げられている。「前衛さん」というのは「前衛音楽」あるいはそれを生産していた作曲家たちのこと。シュトックハウゼンやブーレーズ、ジョン・ケージなどの名前が挙げられている。
筆者によると、「20世紀の前半まではまだクラシック音楽はよく聴かれて」いて、ラヴェルのボレロ(1928年)、ショスタコーヴィチの5番(1937年)、バルトークのオケコン(1943年)、メシアンのトゥーランガリラ(1949年)などのクラシック音楽の名曲も生まれていたのだが、「前衛音楽」が登場して一般のリスナーが離れていくことになる。
そうこうしているうちに、「エルヴィスが現れ、ビートルズが現れ、若者たちはクラシック音楽などどうでもよくなり、20世紀後半はポップスの時代になった」わけだ。
まぁ、それほど新しいことは書かれていないが、最後に書かれているこの意見(↓)には大賛成である ♪
「現在も、録音はされていないが楽譜だけがひっそりと存在している20世紀以降に書かれた名曲も山ほどあるに違いない」
「そういうのを片っ端から、気骨のある演奏家たちに録音してほしいものだ。…知られざる新たな名曲の録音がどんどん発表され、次々とヒット作が生まれてクラシック界が活況を呈することをわたしは望みたい」
"Part.2" には「同曲異演盤」、つまり定番化したクラシックの「名曲」が、多数の色んな演奏家たちによって延々と繰り返し録音され発表されることの功罪が書かれている。
「日本のレコード産業 2017」という日本レコード協会が作成した資料によると、2016年のCDアルバムの新譜発売数は全部で 10,900タイトルで、そのうちクラシックは 1,647タイトルと 15%を占めているそうだ。しかし、売上では 1%に満たない…(^^;)。
ビジネスの観点から見ると、明らかに「供給過多」の状態だ。
この状況は、"Part.1" に書いてあったように、新しいクラシックの名曲が生まれない(作曲されてはいるかも知れないが、録音されず、一般リスナーに届かない…)ことに起因するのかも知れない。
仕方ないので? クラシック音楽業界を維持するために?、「スター演奏家たちに同じ古典的名曲をそれぞれ録音させ、同曲異演盤を何種類も聴き比べることをクラシック音楽の楽しみとしてお薦めする」ことで、なんとかもたせている…(^^;)?
個人的には、好きなピアノ曲をいろんなピアニストの演奏で聴き比べることは好きだし、そういう分野もあっていいとは思うのだが、一方で新しく生まれたばかりの同時代の音楽作品を聴きたいという思いも強い。
この "edy classic" というサイト、ちょっといいかも知れない ♪…ので、とりあえず Facebook と Twitter でフォローしておくことにしよう…(^^)。
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