NIKKEI STYLE の隠れた?音楽コーナーに浜松国際ピアノコンクールの新しい審査委員長、小川典子さんのインタビュー記事(↓)が載っていた。
それによると、浜松国際ピアノコンクールの新しい目標は「浜松から世界のひのき舞台へ直接ピアニストを送り込む」ことだそうだ。
つまり、これまでは「浜松の後にショパン国際やチャイコフスキー国際に行って優秀な成績を収めてくれること」で喜んでいた。簡単に言えば三大コンクールへの "springboard"(踏み台)というか、練習ラウンド?みたいなもの、ということだろう。
で、これからは「もう一歩先へ進んで、浜松から直接、仕事のできるピアニストを」生み出したい、ということのようだ。
何気なく読むと「そうか…」と思いそうなのだが、これって言い換えると「三大コンクール」(チャイコフスキー、ショパン、エリザベート)と肩を並べたいという、けっこう壮大かつ大胆な目標にも見える。
でも「三大」の一つであるエリザベートでさえ、少なくとも2016年はパッとしなかったし、「五大コンクール」に入るだろうリーズもロンティボーも相当苦戦中(↓)である。浜松、ホンキなの?と思ってしまう…。
一方で「浜松国際はすでに成熟しているコンクール」という認識のようで、大きな変革はないようだ。個人的な感想としては、「成熟」が「行き詰まり」でなければよいのだが…。
小川さんの「英国でのネットワーク」を使って、入賞者への「ご褒美として付いてくる演奏会」を充実させたい、というのが一番の目玉?らしい…。
「国際的に活躍できるピアニストの条件とは?」という質問に対して…。
「体力」というのは当然なのだろうが、その次に「自分がどのくらいできるかが分かっている」とあったのがちょっと面白いと思った。「己を知る」ということなのだろうが、いろんなピアニストの言動を見て(ネットから垣間見て)いると、そうじゃない人もけっこう見受けられるような気がする…。
もう一つ、「自分の意見を持って個性を打ち出せるピアニストを探している」とも仰っているが、逆に言うとそういうピアニストがなかなかいないということなのかも…?
小川さん自身、ピアニストとしての立場からの発言もある。
「自分ではドビュッシーや武満徹の作品がいちばん得意な感じがある」「でも最近は、ピアノの楽器としての発展と作曲家が訴えたい気持ちの強さを考慮すると、やはりピアニストはベートーベンからシューベルト、シューマン、ブラームスあたりまでの作品に戻っていくものだと感じ始めている。」
…このあたり、あまり共感はできないが、そういう感じ方もあるんだ…と思った。確かに、ピアノ音楽の全盛期は18〜19世紀の200年ほどというとらえ方もあると思うが、個人的にはこれからも発展していくものだと信じたい。
それから、元理工系として興味深かったのは、小川さんが専属契約しているBIS社(スウェーデン)でのレコーディングの話。
「BIS社が使っているマイクは性能が非常に良く、すごく広いダイナミックレンジ(強弱の幅)を要求される」、そのため「弱い音を出す勉強をすることができた」そうだ。録音技術の向上がピアノ奏法に影響を与えることもある、ということかナ?
おまけ。ところで、この記事が掲載された「NIKKEI STYLE の隠れた?音楽コーナー」であるが、実は NIKKEI STYLE のなかの「エンタメ!」というコーナーの中のサブジャンル?である「ビジュアル音楽堂」というところだ。実に奥まった所にあってなかなか見つからない…(^^;)。
いまさらながら、日本での「音楽」(とくにクラシック音楽)の地位の低さ(メディアでの取り扱いのマイナーさ)に驚嘆してしまう。英語の記事を見ていると、例えば The Guardian などはかなり中身のある記事を載せていたりするのだが…。
音楽記者とか投稿者のレベルの問題かもしれないし、メディアの態度かもしれないし、読者側(世間)の状況を反映しているだけかもしれないが、残念なことだ…。
記事もかなり「ドメスティック」に偏っており、読みたい記事も多くはない。例えば、これまでの記事に登場したピアニスト(鍵盤奏者)の名前を並べるとこんな感じ(↓)だ。
上野優子、福原彰美、花房晴美、伊藤恵、瀬川裕美子、山口友由実、河村尚子、進藤麻美、横山幸雄、高田泰治、大嶺未来、クルティシェフ、小倉貴久子、鈴木雅明、アリス=紗良・オット、アルゲリッチ、小曽根真、小林愛実、田部京子、小菅優
これは、日経を読んでいる層の趣味を反映しているのか?、個人的には「なんだかな〜」という気がするが…(^^;)。(補足:私自身は現役時代から日経を読んでますが、この「趣味」はちょっと違う気がします…)
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