「欲の亡者たちがうごめく、変貌したクラシック音楽業界の裏側がいま明らかに!」
原著英国版(下記写真)のタイトルは "When the Music Stops" で、「訳者あとがき」では、米国版でよりどぎつい "Who Killed the Classical Music" に変わったと説明しているが、よく見ると英国版の副題(↓)はもっと過激かも知れない。
"Managers, Maestros and the Corporate Murder of Classical Music"
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まず、この本を読んだ感想は「まぁ、よくもこんなに細々したことまで調べ上げたなぁ!すごい知識量だなぁ!」ということ。著者のエネルギーと知識の広さに脱帽である。
著者は「暴露本ではない」と言っているが、知られたくないことを書かれた当事者の数はかなり多そうだ。でも「狂ってしまったクラシック音楽業界を何とかしたい」という著者の思いは十分に伝わってくる。
今回の読書メモ兼感想文は、この本から見えてくるクラシック音楽界の「光と影」の中の数少ない「光」を取り上げたいと思う。色欲・金銭欲・支配欲・ナチス・政治から陰謀に近いものまで、たくさん出てくる「影」に触れるのは最小限にしたい。
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🎼「エージェント」を発明したリスト
現代のクラシック音楽業界は「エージェント」(代理人・代理店・音楽事務所)なしには回らないが、それを最初に作り出したのはどうもフランツ・リストのようだ。
リストはソロの「リサイタル」を発明したことで有名だが、リサイタルを企画し準備し運営する役割として、当時はまだなかった個人エージェントのような人を雇ったらしい。
それが、興行師やエージェントの走りとなったガエターノ・ベッローニという人。「巡礼の旅」もベッローニによる「企画」だった。
そこまではいいのだが、このベッローニという人、かなりのクセ者で、リストの次の演奏地に先回りして、噂話を吹き込み、有名人を引き込み、サクラを仕込み、…ということをやったらしい。
リストの演奏会での熱狂や失神するご婦人たちの話は、半分?はこういう「仕掛け」によるものだったようだ。それは、現代の大げさな宣伝やティザー広告などに引き継がれているような気もする。
「リストマニアとは、人工的に作り出された興奮であり、マスメディアと大衆を先導する術の産物であった」
クラシック音楽「産業」の誕生はベッローニのような「上品さとは程遠い人物たちによって」始まった。…というのが、レブレヒトの見解。
🎼ピアノ製造業者たちの貢献
「商業的コンサートの最初のプロモーターたちは、鍵盤楽器を製作し、売り込む業者であった」
米国で、南北戦争が終わった1860年代後半からピアノが家庭に普及し始めた。その中で、チッカリング社とスタインウェイ社は、自らの名を冠したコンサートホールを建設するなど、ピアノ販売のための戦略を次々に仕掛けていく。
その一つが有名ピアニストの演奏旅行であった。スタインウェイ社がアントン・ルビンシュテインと自社ピアノで全米演奏旅行を行えば、チッカリング社はハンス・フォン・ビューローの演奏旅行を企画する…といった具合だった。
「…両社のおかげで、優れたピアノ演奏家たちの活躍の舞台が設けられただけでなく、それら独奏家たちが登場したすべての場所で、新しいオーケストラが誕生した」
「多数のエージェントが、この新しい市場に参入してきた。…社交儀礼をわきまえ、公証された契約書によって活動するこれら一群のコンサート・エージェントたちを…かつてオペラ興行を取り仕切った悪質商人たちと混同することは、おそらく不可能であろう」
自社製品販売のための活動ではあったが、結果的には音楽活動の舞台やオーケストラなどを充実させ、さらにコンサート・エージェントを育てることにつながったわけだ。
🎼ナクソスの挑戦:レコード界の変革
録音技術によってレコード産業という新たな分野が生まれた。しかし、他のクラシック音楽産業分野と同じように金銭や利権の支配するところとなり、そして法外な金額を要求する「スター」によってビジネスとしての合理性が失われていった。
そこに、無名の演奏家を使ったまずまずの(ときには見事な)演奏の廉価なレコードを出したのがナクソスである。大手レコード会社の価格カルテルを破壊することになる。
ナクソスの創業者クラウス・ハイマンの言葉。
「大会社は、演奏家たちに巨額の前払い金を支払って、愚かしくもスター・システムを作り上げました」
「…契約したばかりの演奏家のディスクの発売に席を譲るために、優秀なレコードを廃盤にせざるを得なくなる…まったくばかげています」
「…実質的にすべてのクラシック作品をナクソスから出そうと思っていたのです」
ナクソスは「スター」に「巨額の前払い金」を支払うことなく、大手の 1/5 程度の費用でレコーディングして、クラシック音楽の品揃えを充実させようとした。
現在の "NAXOS MUSIC LIBRARY" の状況(大手レコード会社を含む840以上のレーベルのCDストリーミング配信サービス)を見ると、ハイマンの計画は別の形で成功したと言っていいのではないだろうか。
🎼作曲家を食える「職業」にしよう
クラシック音楽の楽譜出版が始まって以来、その主な権利者、そして受益者は出版社であった。そして出版社どうしの競争・利権争いが延々と続く。
その結果、20世紀末には国際的音楽出版社は3社に絞られ、「クラシック音楽は大手企業の支配下に入り、絶滅に向かっていた」…ということになっていく。
今日のクラシック音楽界の貧しい状況、そして新しい音楽がなかなか聴けない状況の一因が、このあたりにありそうだ。
「ベートーヴェンは貧乏なままで死んだかもしれないが、少なくとも彼は作曲家として生計を立て得た」
「大多数の作曲家にとって、公演と出版のチャンスは、モーツァルトが生きていたころに比べて少なくなっていた」
🎼クラシック音楽の未来を担う?音楽祭
本書のテーマの一つは「クラシック音楽に未来はあるのか?」という問いだと思う。それに対する著者の答えは「復興の兆しもあるが…」という感じだろうか?
復興の成功例や兆しとして小規模な音楽祭などが挙げられている。ここでは詳しい説明は省くが、現在の公式サイトと思われるところにリンクを貼っておいた。
●ムジカ・ヴィヴァ ➡️Musica Viva
リヒャルト・ゴルトナー(ヴィオラ奏者)がオーストラリアで始めた室内楽を中心とする活動。
●マールボロ音楽祭 ➡️Marlboro Music Festival
ルドルフ・ゼルキンによって1951年に設立された。
その他、カザルスとアレクサンダー・シュナイダーやハンガリーのヴァイオリニスト、シャーンドル・ヴェークなどが創設した小さな音楽祭。スカンディナヴィアの村々やフィンランドのミケーリでの夏の音楽イヴェントには錚々たる音楽家たちが集っている。
これに対して大規模な「フィレンツェの5月祭〜グラインドボーン〜バイロイト〜ザルツブルク〜エディンバラ〜ルツェルン」などの音楽祭に対する著者の言葉は厳しい。
「ザルツブルクの音楽祭にほとんど真実味はなく、美のかけらもないといってよい」
🎼クラシック音楽の未来を担う?レーベル
もう一つの「兆し」としては、前述したナクソスのような「音楽を大事にする」レーベルの登場が挙げられている。
例えば、ハイペリオンを起こしたテッド・ペリーは、クラシックの知られざる曲をレコーディングしようとした。タクシーの運転手をしながらの苦しいスタートであったが、次のような多くの成果を上げた。
- クリストファー・ペイジとゴシック・ヴォイスによるヒルデガルト・フォン・ビンゲンのアルバム『神の息吹に舞う羽』(12世紀の修道女の歌)
- タチアナ・ニコラーエワの発掘
- ニコライ・デミデンコの発掘と独占契約
- リストのピアノ独奏曲全集(レスリー・ハワード)CD40枚
- シューベルトの歌曲全集(pf:グレアム・ジョンソン)CD 35枚
そして、「1980年代になると、メジャー・レーベルの欠陥を補うべく、ハイペリオンを筆頭に独自のカラーを持つレーベルが次々と誕生した」という流れにつながる。
- 20世紀の全声楽曲をレコーディングしたオランダのエトチェトラ
- バロック時代のオラトリオに光を当てたフランスの Opus 111
- 自然なサウンドを追求したイギリスのシャンドス
- 現代の知られざる作曲家の交響曲をとりあげたドイツの cpo
こうした小さな音楽祭や独自性を持ったレーベルなど、「ささやかながらもあえて賭けに出た者たちが、ミレニアム以降の音楽に復興の兆しをもたらすだろう」という言葉でこの本は閉じられている。
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この本を読んだあとのもう一つの感想は、クラシック音楽を楽しむ側としても、こういった(カネの亡者と音楽を愛する人たちの)違いを理解するための知識や見識を持つ必要があるだろうなぁ、ということであった。
耳障りのいい宣伝文句に踊らされて割高なチケットを買わされないためにも、自分の耳でしっかりといい音楽を聴き分けられるようになりたいとも思った。
『だれがクラシックをだめにしたか』
ノーマン・レブレヒト 著、喜多尾道冬 ほか 訳
音楽之友社 (2000/11/1)
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