《本『ハーバード大学教授が語る「老い」に負けない生き方』》
発見というのは「あれっ?こんな本読んでいたんだ」ということと「この読書メモ意外と?役に立つじゃん」ということ…(^^;)。
ウチの庭に咲き始めたクロッカス |
その読書メモにも書いたのだが「ピアノと直接は関係ないけど間接的には関係ある」と思った本(↓)である。大人(シニア)のピアノ練習に参考になりそうだ。
『ハーバード大学教授が語る「老い」に負けない生き方』
🎼上達していると思えば上達する
一つ目は、若いと思えば若くなる、健康だと思えば健康になるという「プラシーボ効果」の応用?である。心と体はつながっているので、心の持ちようで実際に健康になったりするという話。
これをピアノの練習で考えてみるとどうなるか?
- 私はピアノが上手だと思う→実力以上にうまく弾ける
- いい練習をしているので上達していると思う→本当に上達する
まぁ、そんなうまい話はない…と思ったらこの話はそもそも成り立たない。この本の基本は、ある意味「信じるものは救われる」ということであるから…。
🎼「レッテル」を外してみる
これはいろんな分野や場面でよく言われることである。あるモノやコトを「言葉」で表現する(決めつける)ことで、その言葉が一人歩きして元の「実態」を制限してしまう、あるいは見誤らせてしまう危険に対する注意である。
ピアノの練習で言えば、私も自分のことを「初心者」とか「下手の横好き」とか言ってしまうことがあるが、そういうことはやめた方がいい、ということだろうと思う。
ただ、それよりも「聴き手」として音楽を聴くときの方が「レッテル」に気をつけるべきだと思う。その「レッテル」の多くはメディアや音楽事務所などが付けたものだ。
例えば、ピアニストの紹介記事などに分かりやすいサブタイトルを付けたい気持ちも分かるが、中には問題がありそうなものも見受けられる。
最近チェックしたピアニストで言えば、エマニュエル・リモルディの「ロシアン・ピアノスクールに育まれたイタリア人ピアニスト」というのは事実なのでいいとして、パヴェル・コレスニコフの「品格をにじませ絶妙な音色を紡ぎ出す若きピアノの詩人」はちょっとどうかな?と思ってしまう。
まぁ、私自身も記事のタイトルには、短い言葉で特長を表現しようとして「レッテル」みたいな言葉(↓)を書いたりはしているのだが…(^^;)。
《エマニュエル・リモルディ:鮮度の高いロマン派ピアニズム ♪》
🎼自分のことは自分で決める
自分のことを一番分かっているのは自分。それに対して、医者や教師などの専門家は不特定多数を相手にするので、一般化された「架空の標準的人間」の診断・指導をする。
なので、専門家は「相談相手」と考えるべきで、専門的な見解を参考にしながらも、最後は主役である自分が、自分にとって一番よいと思われるものを選ぶべき、という話。
ピアノの練習で言えば、教科書やピアノの先生は基本的には「標準的な正しい弾き方」を教える、訓練することが多いわけで、それが必ずしも個別の生徒すべてに当てはまるとは限らない、ということになる…のかな?
骨格や指の長さなどは一人ひとり違うので、その人に最適な弾き方というのはそれぞれに違うのだろう、ということは推測できる。問題は、自分でその「最適な弾き方」が分かるか?見つけられるか?ということだが…。
まぁ、少なくとも自分のことをよく見て、自分の弾く音をよく聴いて、自分で考えるということは続けたいと思う。…というか、独習者としてはそうせざるを得ない…(^^;)。
🎼老化ではなく変化〜進化
これが、シニア世代にとっては一番の励ましになった言葉である。
「変化」と「劣化」「老化」は別物。人間の「発達」の後半を「老化」という言葉でネガティヴなものにしてはならない。
そう、人間は一生「発達」し続けるのだ。なので、私のピアノも一生「上達」し続けるに違いない…(^^) ♪
最近、練習する曲を選曲するときに、難易度の数字などであらかじめ対象とするピアノ曲を制限することはやめようと思っている。
弾きたいと思った曲はとりあえずチャレンジしてみて、その曲そのものが(個別に)自分の手に負えないと思ったら(難易度の数字が高いからではなく)将来にとっておけばいいだけの話だと考えることにしたのだ。
→《ピアノに関する「モヤモヤ」は消えたのか?》
…そう言えば、そろそろ次の曲を考え始めなくては…。
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