タイトルの『ピアノを尋ねて』だけ見て図書館から借りたら小説だった…という…(^^;)。「(2020/21年に)台湾の文学賞を総なめにした話題作」らしい。
ピアノやピアニスト、作曲家などに関する話題も多く、登場する調律師、ピアノ教師、ピアニストたちに関する話も興味深く、それなりに面白く読めた。
『ピアノを尋ねて』(クオ・チャンシェン、倉本知明 訳)
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ただ、こういう「私小説」?的なものを読むのはあまり得意ではない。ストーリーがはっきり見える「物語」的なものの方が好きだ。
『ピアノを尋ねて』(クオ・チャンシェン、倉本知明 訳)
ただ、こういう「私小説」?的なものを読むのはあまり得意ではない。ストーリーがはっきり見える「物語」的なものの方が好きだ。
しかも、翻訳者によると、通奏低音は「老いと孤独」なのだそうで、「老い」の年代にいる私としてはどちらかというと避けたい話題でもある…(^^;)?
でも、せっかく読んだのでご紹介と面白いと思った箇所の抜書きなど…。「感想文」というのは小学生のときから苦手なので省略。
紹介は安直に出版社の記事から…。
✏️音楽への夢と情熱、別れと喪失――台湾の文学賞を総なめにした話題作!(新潮社)
「天賦の才能を持ちながらピアニストの夢破れた調律師のわたしと、再婚した若い音楽家の妻に先立たれた初老の実業家。中古ピアノ販売の起業を目指してニューヨークを訪れたふたりが求めていたものとは――。作中にシューベルト、リヒテル、グールド、ラフマニノフといった巨匠の孤独が語られ、『聴覚小説』とも評された台湾のベストセラー」
「聴覚小説」という言い方は面白いが、それほど頻繁に「音」が聞こえるような書き方をしているとは、私には思えなかった。
それよりも、裏表紙にあった「文学におけるポリフォニー」という表現の方が、この小説に合っていて、確かに複数の旋律(話の筋)がうまく交錯しているように感じた。
以下、興味を引かれた部分の抜書き。
主人公(語り手)が、ピアノ教室の講師を諦めて調律師の道を選んだ理由を語っている箇所。かなり辛辣な表現かもしれない。
「何より心配だったのは、敲(たた)けば音が出るんだといった態度の弾き手が奏でる音色が、自分の敏感な耳をダメにして、それがわたしの心身に立ち直れないほど大きなダメージを与えてしまいかねないような気がしたからだった」
ピアノという楽器や曲に対する無理解に対する語り方も少し厳しいが、何となく納得できる部分もある。
「演奏家が自らが演奏するピアノを十分に理解していないこと … 己の感情を過剰なまでにピアノに投影しがちな演奏家たちは、それが強い衝撃を与えることでコントロールされた一台の機械に過ぎない事実を忘れがちだ」
「凡人が犯しがちな間違いとは、人のこころがどれだけ複雑で予想不可能なものなのかを理解しようとせず、世の中には既成の楽譜がすでに用意されていて、どのように演奏すればいいのか教えてくれると思っているところだ」
「音色」について語り手の調律師が説明しているくだりも、よく分からないが面白い。
「聴覚神経が受けとる音色は三つある」
「ひとつ目は基本音と呼ばれるもので、ブンブンと聞こえる。ふたつ目はジャンジャン。音符の強弱と明確さによって、その輪郭が浮かび上がってくる」
「三つ目は音に表情を加えるもので、あかりの明暗にも似ている。スースーというこの音はコントロールを担っている。…(これらの)比率の具合で、わたしたちの耳が感じ取る音色はつくられる」
ブンブンは音の高さを決める正弦波のこと。ジャンジャンは音の(狭義の?)「音色」。スースーは倍音。…なのかな?
ジャンジャンは、楽器の音色の違い(ヴァイオリンとフルートなどの違い)を説明するときに使われる「音の波の輪郭」のようなもの?で、それが一つの楽器(ピアノ)でも個体差があるということなのでは?…と勝手に考えた…(^^;)。
こうやって抜き出した部分を眺めてみると、小説の言わんとするところと、かなりかけ離れた部分に興味を引かれている自分に改めて気付かされて面白い…(^^;)♪
まぁ、本(小説)の読み方は人それぞれ。音楽の聴き方・受け取り方が人それぞれであるように…。
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