2024年7月30日火曜日

ピアニスト、モーツァルトを語る:内田光子、ロバート・レヴィン、ポリーニ…

今、モーツァルトのピアノ協奏曲を順番にすべて聴くことを進めながら、ピアノの練習曲もモーツァルトのソナタから一つの楽章を選んで練習している。

《次のピアノ練習曲はモーツァルトのソナタ第3番 K.281 第2楽章 Andante amoroso ♪》

少しでもモーツァルトを理解しようと思い、ネット上で解説文などを探すが、それほど多くの情報はない。いくつか見つけたものをメモしておこうと思う。




ピアニストが語った言葉が興味深い。以下、記事へのリンクに続いて、参考になった部分を引用し、キーとなりそうなフレーズを太字にしている。

自分自身のコメントを書くほど理解できてないので、それはなし…(^^;)。この記事を読み直しながら少し考えたいと思っている。


✏️「固定観念にとらわれず」(内田光子インタビュー:Steinway & Sons)

「シューベルトの音楽、シューベルト特有の孤独は、私にとって親近感の湧くものだったのです。彼の孤独は、自分の孤独と結び付けられる種類のものでした。モーツァルトはそれほど簡単に孤独を見せません。彼は、ほとんどの時間、誰かといちゃついていました。そして、彼が本当に自分を愛していると思っても、3秒後に彼は別の場所にいる。そういうタイプの人間です」

「モーツァルトの音楽の想像力と自然さは、彼が何かをあまりにも普通に、トニック(主和音)であるかのように行えた人間だったということです。トニックに戻ると、まったく魔法のようで、神秘的でさえあります。調性音楽においてトニックであることは、神秘的とは思われていません。(それは大地と思われています)…モーツァルトの場合、あなたはそこに降り、降りた場所の神秘を見て息をのみます」

「彼(モーツァルト)は何も語っていません。それは彼が講義するようなものではありません。あなたが自分で感じるほかなく、それを受け入れるしかないのです」


✏️「モーツァルトはドラマティスト」 古楽研究家、演奏家ロバート・レヴィン(Robert Levin)が語る新解釈の『ピアノ・ソナタ全集』(Mikiki)

「オペラが得意だったことからわかるように、モーツァルトはドラマティストでした。彼の鍵盤作品はとても生き生きしていて、キャラクターが豊かです。モーツァルトの音楽がエレガントで流麗だという先入観は間違いで、実は感情の幅が広く、時に情熱的。彼が運転する車に乗っているような気分です。だから強い演奏がふさわしい

モーツァルトの演奏に即興が必要であることは、ハンス・スワロフスキーと共演した時に学びました。フリードリヒ・グルダは昔から即興を入れていますよね」

「モーツァルトの場合、リピートの半分は普通の繰り返しですが、後の半分はほとんど作曲し直すような、ヴァリエーションと言っていいような形でした。この点でC・P・Eバッハの影響は大きいです」


✏️年齢とともに、よりモーツァルトに親しむようになると思います(ポリーニは語る:DIE ZEIT)

「人は年齢を重ねるほど、ますますモーツァルトに親しむようになると。多分それは、十分成長した音楽家であってはじめて、モーツァルトの音楽の緻密さを正しく認めることが出来るからでしょう。私はいつだってモーツァルトが好きでしたが、おそらく今、その愛は更に大きくなっています」

「ベートーヴェンは私達に、大きく強い仕草で語りかけます。モーツァルトはニュアンスをもって語るのです。しっかりと耳を傾ける人は誰でも、彼が全てを表現する能力があることに気づくでしょう」

「モーツァルトは、測りがたいほど天賦の才のある音楽家であるばかりでなく、また非常に成熟した人間でした。…音楽の質の高さは、単に彼の天才的な音楽の独創力からだけではなく、彼が作品を生み出すその覚めた見方(注意深さ)、明晰な意識からも生じるのです」


✏️モーツァルトのピアノ協奏曲な世界(吉松隆:月刊クラシック音楽探偵事務所)

「…(モーツァルトの音楽は)『音の純粋な心地よい響き』だけで出来ていて、聴き手に『思想を押しつけること』も『理解を強いること』もしないのだから、嫌われる理由もない」

「水のようにピュア(純粋)…ということを、『不純物のない天からの授かり物』とプラスにとるか、『毒にも薬にもならない内容のないもの』とマイナスに取るか。それは、聴く人の音楽観や世界観(そして『ひねくれ方』)と同時に、時代や社会の風潮にも大きく左右されるようだ」

「…モーツァルトの時代には『短調』というのは『不協和音』ぎりぎりの世界だったと言っていいかも知れない。…29歳の時のニ短調のピアノ協奏曲第20番あたりから、モーツァルトは意識的に『短調』の世界に踏み込む。しかし、これは当時の彼の音楽のファンにとっては『不協和音で曲を書き始めた』みたいなものだったらしく、あっと言う間に人気急落…」

「しかし、ただ長調の音階の音を絶妙に組み立てるだけの『軽さの美学』(決して皮肉ではなく!)では、いまだにモーツァルトを凌駕する『天使(かつ阿呆)』の境地に達した作曲家はいない(決して皮肉ではなく!)。…その到達点が・・・晩年のイ長調(第23番)や最後の変ロ長調(第27番)のピアノ協奏曲や…」

そこには、『長調』で明るい世界なのに、不思議なほど透明な無常観が漂っている


次の二つはピアノソナタを聴くときに参考にしようと思う。



おまけ。ネット世界の劣化と「生成 AI」に対する心配(杞憂?)。

ちょっと話題はズレるが、今回参考になりそうな記事を探す中で感じたこと。検索結果があまりに「商業」に偏っていること。モーツァルトの音楽やピアノ曲に関することを知りたいのに、検索で出てくる記事のほとんどが、CD や音源や本(楽譜)などの紹介。

ネット世界が広告や販売(やサブスクリプション)などの収入で成り立っていることは承知しているが、本当の意味での「情報」があまりにも少なすぎるのでは?…と思う。

今流行りの「生成 AI」も、このネット世界の情報を元にしていると思うと、その信憑性に一抹の不安が生じる。さらに、AI で生成された情報がネット世界に増えていくと、その劣化度合いが加速されるのでは?…という、まぁ、素人考えではあるが心配だ…(^^;)。

やはり、ちゃんとした情報はちゃんとした書籍から得るしかないのかな…?



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