第5番〜第10番の初期作品がまとめて作られた時期から 6年ほどあと、1782年末から1783年初めにかけて(26〜27歳)作曲された 3つのピアノ協奏曲(第11〜13番)の一つ。3つのうち最初に完成されたと考えられている。
モーツァルト自身が開催した「予約演奏会」のために作られた作品。この時期のピアノ協奏曲としては、現代でも一番演奏機会が多い。
モーツァルトは 1781年からウィーンに定住し、1782年の 8月(26歳)にはコンスタンツェと結婚し、職業音楽家(作曲家&ピアニスト)として生計を立てるようになる。
この頃の演奏会といえば、王侯貴族のお抱え演奏家たちによるお屋敷での演奏会というのが一般的であった。…が少しずつ、公開演奏会も開かれるようになっていた。
モーツァルトの「予約演奏会」というのは、興行師と組むのではなく、モーツァルト自身が企画・開催するという、当時としては画期的な形態の公開演奏会であったようだ。
1782年12月28日のモーツァルトの父に宛てた手紙には次のように書かれている。3つのピアノ協奏曲の作曲意図のようなものが垣間見えて面白い。
「ところで、予約演奏会のための協奏曲が、まだ二つ足りません。 出来た協奏曲は、むずかしいのとやさしいのの丁度中間のもので、非常に華やかで、耳に快く響きます。 もちろん空虚なものに堕してはいません。 あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、それでいて、通でない人も、なぜか知らないながらも、きっと満足するようなものです。切符は現金6ドゥカーテン(27フローリン)で頒けています」
しっかりと、ウィーンの聴衆の好みを意識して、難しすぎず楽しめるような曲を目指していることが分かる。この時点で完成していたのは第12番の協奏曲のみであった。
なお、チケットの料金は今で言うと約 8万円?ほどに当たるらしい。父親のレオポルトは「高すぎる」と言ったようだが、実際にはすぐに売り切れたようだ。顧客が貴族や富豪ということと、ピアニストとしてのモーツァルトの人気もあったのだろう。
また、この 3作品の楽譜も出版・販売したが、こちらの売れ行きは芳しくなかったようだ。楽譜の予約販売の記事(ウィーン新聞、1783年 1月15日)には、ピアノ五重奏としても演奏可能なことが書いてある。
「この三曲の協奏曲は管楽器を含む大管弦楽団でも、単なる四重奏、即ちヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1とでも演奏可能であり、本年四月初めに出版される」
なお、第2楽章には直前に亡くなったヨハン・クリスティアン・バッハのオペラ「誠意の災い」序曲から、主題をそっくり流用している。これは、モーツァルトなりの追悼の意を表したものと考えられている。
この第12番のコンチェルトは定番の?内田光子さんやペライア以外にも何人かのピアニストの演奏が YouTube にあって楽しめた。
その中でひときわ輝いていたのがエリザーベト・レオンスカヤ(Elisabeth Leonskaja、ジョージア、1945 - )の演奏。弦楽合奏の弾き振りというか、室内楽のような演奏。
序奏の中でいきなりピアノが入って驚かせてくれる…(^^;)。オーケストラの合いの手?のような連打。たぶん、管楽器の音を代わりに出している?
演奏はメリハリがあり、ピアノの音色のパレットが多彩で美しく響く。微妙なアゴーギクによるものだと思うが、リズムに変化があり、表情がとても豊かである。アーティキュレーションも実に素晴らしい ♪
コンセルトヘボウ室内管弦楽団の弦の響きや音楽の流れも心地よく素晴らしい ♪
それから、個人的にはピアニストとしてより指揮者としての認識が強く、ピアノ演奏はあまり聴いたことがないが、クリストフ・エッシェンバッハ(Christoph Eschenbach、独、1940 - )がパリ管弦楽団を弾き振りしている演奏も整然とした佇まいが良かった。
ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy、露、1937 - )がロイヤル・フィルハーモニーを弾き振りしている演奏も私の好みだ ♪
室内楽編成での演奏はあまりないが、アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha、レバノン、1958 - )が弦楽五重奏と共演している音源があった。
参考:
✏️ピアノ協奏曲第12番 (モーツァルト)(Wikipedia)
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