バッハの平均律第2巻第6番のフーガは「ほぼ通し練習」を継続中。少しは「気持ちよく弾ける」ようにはなってきたが、まだまだ途中止まる場所が多すぎる…(^^;)。
《鍵盤音楽史:現代》は、オリヴィエ・メシアンとエリオット・カーター。フーガの勉強は小休止中…。
バッハの平均律第2巻第6番のフーガは、一応「通し練習」に入ったつもりなのだが、冒頭に書いたように止まる箇所が多すぎる…。
弾けなかったりミスしたりして止まるのもあるが、「息切れ」が原因のところもありそうだ。これは、たぶん「フレージング」や「息継ぎ(ブレス)」の問題のような気がする。
もともとこの曲はフォルテで始まるし、クレッシェンドとディミヌエンドが頻出するし、三連符や半音階などもあり、比較的「波風の立つ」曲ではある…と思う。…のだが、それにつられて?少し「前のめり」になっているかも知れない。
今日の練習では少し気持ちを落ち着けて、自粛?自重?自制?してみよう…(^^;)。
「止まらずに弾く」ことと「レパートリー化」を目指して、前回の練習曲、平均律第1巻第23番のロ長調のプレリュードを毎日 1〜2回弾いている。
先週書いたように「日を追うごとに部分的に『忘却』が発生している」ようなので、久しぶりに楽譜を見て弾いたのだが、なんだか奇妙な感じ?がしたのだった…。
見慣れた(見慣れていた)楽譜なのに、初めて見るような感じ…。それと、自分が弾いているのと楽譜がうまくリンクしない…というか…??
何が起きているのか、そして何故なのか少し考えてみた。
一つには、私の「暗譜」は、指の動きとか鍵盤上の位置関係とか、要するに「弾く」行為そのもののイメージで覚えているのではないか…ということ。
そして、楽譜を見ないで弾く練習を続けることによって、だんだんと「楽譜」との関係が希薄になっていく(忘れてしまう)のではないだろうか?
そもそも私のソルフェージュ能力は低いので、それも関係していそうだ。楽譜から音がイメージできないし、音から楽譜(音符)が浮かんだりはしないのだ…。
まぁ、それでもいいか…(^^;)…とも思ったが、うちのカミさん(元音大生)は「昔練習した曲を楽譜を見ながらちゃんと弾けた方がいいんじゃない?」というご意見だった。
私の「暗譜」(記憶)は揮発性が高い(すぐに忘れる)ようなので、その意見も「ごもっとも!」とも思うのだが…。さて、どうしようか…?
対位法(フーガ)の勉強は、『対位法』(音楽之友社、長谷川良夫著)という本の「フーガ」のところをざっと読んだあと、この 1〜2週間お休み中?
今練習しているフーガの「分析」(なんちゃって版?)でもトライしてみるか?…と思っていたのだが、弾く方の練習が大変なので、まだその余裕はない…(^^;)。
《鍵盤音楽史:現代》は、オリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 仏, 1908-1992)とエリオット・カーター(Elliott Carter, 米, 1908-2012)。
二人とも大物でピアノ作品も中身の濃いものが多いので、ちょっとしんどかった…かも…(^^;)? でも、楽しかった ♪ 面白かった ♪
まぁ、自分で弾いてみようかな?と思える曲がないのが残念だが…。
やっと暖かくなってきて「庭仕事日和」の日も多くなってきた ♪
ただ、今は庭の木の巣箱でシジュウカラがヒナの餌やりに大忙しなので、あまり庭仕事はできない。本格的な庭仕事はヒナの「巣立ち」までお預けだ…(^^)♪
シジュウカラが営巣するようになって今年で 7年くらいになるが、「巣立ち」の瞬間は一度も見たことがない。今年はなんとか見たいものだが…。
それにしても、ウクライナの戦争は終わる気配がない。プーチンが 5月の中旬にガン手術を受けるという報道があったが、せめて入院中は停戦する…とか考えないのだろうか?
ウクライナの戦争が一刻も早く終わりますように。
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