2020年5月4日月曜日

ピアノ打鍵の「脱力」:意識の仕方が変わったかも知れない?

数日前、ピアノを始めてから2年分(2013〜2014)の練習履歴を整理しながら(↓)、ふと気づいたことがある。そういえば、最近「脱力」を気にしていないなぁ…。

《ピアノを始めた頃の懐かしい練習履歴を作って眺めた ♪》

現在の自分の技術レベルを振り返ってみても、決して「脱力」を会得した(マスターした)という訳ではなさそうなのだ。意識しなくても自然にできるようになっていたら…どんなに嬉しいことか…(^^;)。では、なぜ意識しなくなったのか?




日頃の練習を思い出してみて、何となく考えたのは次のようなことだ。

「脱力」だけの単体で意識することはほとんどないのだが、他の色んなことを練習する中に、要素の一つとして「脱力」が含まれているのではないか?…ということ。

例えば、いま練習しているベートーヴェンのピアノソナタ第31番でいうと、左手の和音の連続とか、トリルとか、フーガのやや不自然な指使いとか…。そういった課題を解決する方法の中に必然的に「脱力」が入っているような気がするのだ。


このソナタには、左手伴奏に連続和音がたくさん出てくる。今やっている第3楽章の「嘆きの歌」(↓)にも登場する。この左手和音は小さな柔らかい音で、旋律の邪魔をせず、しかもしっかりとハーモニーを支える必要があるのでとても難しい。




イメージに近い音を出すために四苦八苦する訳なのだが、そこでほとんど無意識に考えているのは次のようなことだと思われる。あえて分析?すると…。

  1. しっかりした音を出すために手指の形を整えること
  2. 垂直に柔らかく打鍵、しかも芯のある音を出すこと
  3. 打鍵後すぐに脱力して速やかに次の打鍵に備えること
  4. 全体としてリズミカルにしなやかに…


ピアノを弾く上で必要な「脱力」とは、だら〜んと力を抜くことではなく、必要なタイミングで必要な部分に必要最小限の力を入れて、不必要な力を使わないことだと思う。


トリルは、適切な「脱力」が出来ていないとうまく弾けない典型的な例かも知れない。これは私の苦手分野の一つ。第1楽章の次の箇所(2段目)は「難所」として、最後まで課題として残りそうだ。未だにコツのようなものが掴めない…(^^;)。




上のトリルは「左手」かつ「連続」という難しさだが、第3楽章の「フーガ1」の終わりのところにある「重音」+「3と5の指」のトリルも難関だ。1の指を押さえたままなので、余計に「脱力」が難しい。




あと、フーガは一つの手で2つの(複数の)声部を弾く(弾き分ける)必要があるので、一生懸命に音を押さえようと頑張っていると、すぐに力んでしまう。

一つの音を押さえたまま、他の指が動くようなとき、じっとしている指に必要以上の力が入らないようにする。そういったことの連続である。

少しでもラクに押さえることを意識して弾く(手の形や運指を工夫しながら)ことが、自然に「脱力」の方向を目指すことにつながると思う。

下記の p と  とが突然入れ替わるようなところでは、「脱力」(というより「タッチ」)を意識しているかもしれない。 で力まないことの方が難しい。




…ということで、「脱力」に対する意識が、他の技術要素の中に紛れ込む?ようになっただけで、決して「脱力」をマスターすることができた訳ではない…ということが何となく分かってきた。

私にとって「脱力」はピアノを弾き続ける限り「永遠の課題」なのかも…(^^;)?



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