この記事は、中村紘子さんの『ピアニストという蛮族がいる』という本の感想文(昨日の記事)の続編、というか番外編である。
ピアニストは半分アスリートである、と思っている私にとって、ちょっと興味を引く話が出ていたので書いておきたい。
まず、ピアノという楽器はもともと男性用に作られているという話。引用してみると…。
「ピアノという楽器は…その成熟期においては、主に男性ピアニストたちによるヒロイックで超人的な音楽表現を目的に改良され完成された…」
ピアノが大きく進化した時代に生きたベートーヴェンのピアノ曲などを聴いてみると、確かにそうかもしれないと思う。
手の小さい私なんかから見ると、「ロシア人とかの大男用」に作られている楽器じゃないのか?とさえ思ってしまう。
参考→《ピアニストの手の大きさと鍵盤のサイズ》
そして、アスレチック・ジムに通ってトレーニングしている男性ピアニストにふれて、
「…筋力アップのトレニングは、…演奏上の音量などの増加、技術上の余裕を得ることなどに大きな効果がある。例えば、上膊部の内側の筋肉を鍛えると、オクターヴを演奏する際の持続力が圧倒的に強くなるし、余力をもってコントロールが効くから音質も美しくなる」
…と書いてある。さらに、
「…演奏で疲労した腕や肩、腰などをほぐす効果もあって、ピアニストがひんぱんに悩まされる腱鞘炎や肉離れ、といった事故を防止するのにも最適」
…とある。
注意しなくてはいけないのは、ムキムキの筋肉をつける、いわゆる「筋トレ」のことではない(だろう)ということだ。簡単に言うとイチロー流のトレーニングだと思われる。可動域の広いしなやかな筋肉である。
それから、昔のフランスのグラシアというピアニストが書いた「ピアノ奏法」という本が紹介されていて、その副題が「最小の勉強で最大の進歩を得るには…」といった気になるものなのだが…。
「効率的な(大人の)練習法」は私自身の目指すテーマでもあるので、ちょっと期待したのだが、内容は指の強化マシーンとか指を広げる器具とか、かなり怪しげな内容だそうだ。
そのあとに、中村紘子さんが、ピアニストの手やトレーニングについて書かれている部分が、ちょっと「ピアニストは半分アスリート」的な発言になっていて印象に残った。
「ピアノ奏法で手というのは、いくつかの部分に分かれてそれぞれ特徴のある役目を果たす」
という前置きに続けて、各部分についての働きが書いてある。
「指先はデリケートな音色を作る」
「手の甲は音の厚みと関係あり、甲が分厚く大きく柔らかい人は、ふくよかな音を出す」
「手首の役目は、声楽のときの呼吸と同じである。また手首は、その力を押しこめば落ちついたレガートを作り、ふっともち上げて力を抜けば、お習字の筆先と同じで音が自然に抜ける」
「ひじは音全体ののびやかさ、響きの美しさと関係あり…」
「上膊部即ち二の腕だが、ここは演奏にパワーを加えるためには一番重要な部分となる…」
二の腕については、アルゲリッチの例があげられており、妙に説得力がある。…で、まとめとして、
「そうした…部分的な特徴とその利用法に応じてパワーアップのトレーニングを図れば、少なくとも純然たる筋肉運動の面からピアノ奏法というものをとらえていうなら、かなりな効果を期待できる」
「かなりな効果を期待できる」というところには、個人的には勇気付けられる部分である。もちろん、当然ながら、
「音楽家はスポーツマンではない」「いくら筋肉が立派でも、こぢんまりとスケールの小さな、音に迫力のない演奏をする男性ピアニストはいくらでもいる…」
ということを付け加えるのを忘れてはおられない。
この話を読んで、私としては俄然「上膊部の内側の筋肉を鍛える」方法を考えてみようか…という気になってきた。
うまく鍛えることができれば「オクターヴを演奏する際の持続力」とか、余力によって「美しい音」が出せるようになるかも知れないのだから…!(^^;)♪
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