《ブラームスの間奏曲 Op.117 を弾くために(とりあえず)》の続きである。タイトルの"Tips"とは、IT機器やそのソフトをうまく使うためのコツや小技のことである。
音楽作品を演奏するのに、中身の解釈や音楽性を差し置いて「コツ」とは何ぞや!と叱られそうだが、とりあえず、最初に言い訳をすると…。
この作品は、ブラームス自身が「わが心の痛みへの子守唄」と呼んでいるとおり、深い内容を表現したものだと思う。「過ぎ去った人生のあれこれをポツリポツリと語っている…」などという解説もある。
これは分からないでもない。私自身、すでに高齢者の仲間入りをして、人生を振り返ったり、残された年月を思ったりすることもある。
しかしブラームスは複雑な人だったようだし、芸術家として、我々一般人には理解できないような人生を送ったはずだ。しかも、彼の作品は「前期のものは技巧的に難しく、後期のものは精神的に難しい」。
そう簡単に、彼の晩年の心情を推し量れるものではない、と思う。
一方で、自分でピアノを弾き、自分の技量(メカニカルな技術、表現技術)の範囲で、できるだけ自分のイメージに近い(自己満足できる)弾き方をするにはどうすればいいのか?…が現実的な問題になる。
その答えは「曲の解釈」や「精神論」の中にはなくて、ちょっとした意識の持ち方とか「コツ」の中にあるのではないかと思うのだ。
もちろん、自分なりのイメージを持つために「解釈」や「理解」は必要だと思うが、それだけでは弾けない…。
…というわけで、初心者が、ちょっと無理しながら中級くらいのこの曲を弾くときに、参考になりそうなものをリストアップしてみた。
必ずしも「老人の嘆き」ではない
実は、この曲を最初に聴いたときに感じたのは、「枯淡」とか「老人の嘆き」ではなく、優しさと瑞々(みずみず)しさであった。もちろん、中間部のやや暗い部分に悲しみや嘆きの影は感じたものの、それは A' の部分で払拭される。
下の「参考」にあげた記事に、三谷礼二氏によるラドゥ・ルプーのCDへのライナーノートが引用されている。その中で、ブラームスがルプーにこう語る(と三谷氏が想像…)。
「君は私の老年の音楽をすっかり青春の音楽にしてしまったね」「いや、いいんだ。老人が仕方なく回想した音楽が、ほとんど青春一色に聞こえるのだったら、書いた方としても本望だよ」
「ああ、君のお蔭で私はまた思い出してしまったよ、あの夢でいっぱいの若い日を」
これを読んだとき、妙に納得した。寂しげに弾く必要はないんだ、と少し安心したのだ。感じるままに、ゆったりと美しく歌いたい。まぁ…、そういう風に弾ければいいのだが…(^^;)。
参考:1892年夏バートイシュルのブラームス(II)
※追記@2023/03/28:リンク切れ?
Wiegenlied(子守唄)のリズム
メロディーを意識しながら弾いていると、ともすると6/8拍子のリズムを忘れて?しまう。
この曲は「子守唄」のリズム[♩♪♩♪]が繰り返し刻まれるなかに、穏やかで慈しむような旋律が歌われている。このゆりかごのようなリズムを、常に意識しながら弾きたいと思う。
それと関連するのがテンポの問題。前項であげた参考記事に、プロの演奏の時間を調べたものが載っているが、「4分10秒〜6分49秒」と相当に幅がある。
"Andante moderato" なので、あまり遅くしないように言う人もいるし、演奏をいくつか聴いていると、こんなに遅くしちゃうの!?という人もいる。個人的には、すこしゆったり目の方が好みかな…?
参考:二人称としての個人的音楽体験試論
※追記@2023/03/28:リンク切れ
"dolce"="espressivo"
この曲には、最後の部分の rf(リンフォルツァンド:その音を急に強く)以外は、p と pp しか出てこない。その上 dolce が頻出する。
でも、そのとおりに弾こうとすると、なんだか弱々しい曲になってしまう。それよりも、私の技術レベルでは音が抜けたりしてしまう。結果として、mf くらいで弾いていると思う。
…で、この曲についてではないが、ブラームスがこんな(↓)ことを言っている、というのを見つけた。
「どうか、静かには演奏しないで下さい。私が dolce と書いている意味は、espressivo(表情豊かに)ということを意図しているのです」
「強く」とは言ってないが「静かではない」と言っている。なので、安心してmf くらいで弾こうと思っている…(^^;)。
ベースラインは決然と深い音で
もう一つ、弱々しく弾くべきではないことが分かる証言が、下記の記事で紹介されている。
ブラームスは感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティヒでなくてはならない」と言った、という。センチメンタルは「ひ弱」、ガイスティヒ(geistig)は「精神的」という意味。
とくに低音(ベースライン)を弱く弾いたりすると「烈火のごとく怒った」らしい。左手は、きわめて深い音で、そして決然と弾かなくてはならない、というのがブラームスの考えだったようだ。
「ズレ」を意識する
上の参考記事には、もう一つ「なるほど!」と思ったことが書いてある。それが「ズレ」の話。
演奏法として、左右の打鍵をずらす方法はあったようだが、ブラームスは作品(楽譜)の中に「ズレ」を明確に取り込んでいる。
つまり、ABA' の A 部分では、旋律より1拍先行する形(アウフタクト)で和音が始まっている。中間の B 部分では逆に、旋律が1拍遅れて出る、と考えることができる。
これによって、ブラームスは微妙な何かを表現していると思われる。そのニュアンスの解釈は、演奏者に委ねられることになる。
ブラームスの演奏を参考に
…と言っても、ブラームスの演奏を聴くことはできない。上と同じ参考記事に、クララ・シューマンの弟子であったファニー・デイヴィスの回想録から、次の証言が紹介されている。
「(ブラームスの演奏の)タッチは温かく深 く豊かだった。f は雄大で、ff でも刺々しくならない。p にもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった」
「『良いフレーズ に始まり良いフレーズに終わる』これがドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生 じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そしてもちろん、低音部をがっ ちり強調していることがよくわかった」
まぁ、一流のヴィルトゥオーゾであったブラームスを真似することは不可能だが、フレーズをつなぐ、くらいは参考にさせて戴こうと思う。
…これらを少しでも「自分が弾いている中で」取り入れられたらと思う。まぁ、その前に「メカニカル」レベルでもいいので、間違えずに通して弾けるようにならなければ、というのが実態ですが…(^^;)。
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