今月は「作曲遊び」をメインに、下記のようなメニューをその日の気分で適当に選んでやっている。…のだが、少しずれ始めている?
①作曲のお手本として、アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」を弾きながら研究?
②和声の勉強の代わりに「讃美歌集」を弾くこと
③作曲のための断片メモ作り
④レパートリー化を目指した通し弾き
⑤次の選曲のための試し弾き
①は飽きたので中止。③も行き詰まってきたので中断。②は毎日5曲ずつ弾いていて、進み具合から言うと順調なのだが、同じような和声が続くので、ちょっと退屈になってきた。まぁ、初見の練習には少しなっているかも…。
④は、バッハの平均律 Book2 第12番ヘ短調のプレリュードを毎日1回は通して弾くことを続けている。が、レベルを維持するのが難しく、だんだん下手になっているような気さえする。最近では、いくつかの難所の「部分練習」みたいな様相を呈しており…やや不満…。
…ということで、そろそろ⑤の次の選曲に軸足を移しつつある。といっても、候補曲が定まってきている訳でもなく、どうしようか悩み始めた段階。
とりあえず、考えているのがシューマン。理由の一つは簡単で、5月初めにラフォルジュルネでゲニューシャスくんを聴きに行くのだが、その曲目にシューマンの《森の情景》op.82 が入っているから。
もう一つの理由は「苦手の克服?」と、有名な作曲家はせめて1曲くらいは弾いてみたい、という漠然とした思いをブレンド?したもの。
実は、シューマン、シューベルト、ブラームスは、私の中では「苦手意識の三羽ガラス」?なのだ。理由はよく分からないが、この3人のピアノ曲はなぜかとっつきにくい、良さが今ひとつ理解できない・腑に落ちないみたいなところがあるのだ。聴いても、弾いてみても…。
弾く方は、ロマン派的な「ピアノで歌う…」や「感情を込めて…」が苦手なことと、たぶん技術的にも苦手パターンが多いせいだと思うのだが、聴く方はもう少し理解したい(いいと思いたい?)という気持ちがずっとある。
シューベルトは去年なんとか「克服」?できて、即興曲とか好きな曲・演奏も分かってきたし、自分でも弾くことができた。
で、次はシューマンかな…と。
振り返ってみると、《シューマンを弾くとしたら…(選曲準備2)》を書いた、2014年の7月くらいから、弾いてみようかとは思っていたのだが、なかなか…。一応の努力はしていて、本を読んだりはしてきた(↓)。
最初の「作曲家別演奏法」という本には「シューマンの世界に近づくためには、いきなり結婚前の強烈な個性を放っている作品群から入るよりも、むしろ後期の、たとえば《子供のためのアルバム》《森の情景》などから近づいていくほうがよい」とある。
仲道さんは「シューマンの世界は、外から眺めていては味わうことができないのだと思う。中に入り込んで、一緒に、どろどろぼろぼろになって、心の襞の奥底へ降りていく。それがシューマンの美を見つける方法だ」とおっしゃる…。これは私には無理…(^^;)。
でも、少なくとも好きな曲は一つ見つけた。それが「交響的練習曲」(Etudes symphoniques Op.13)で、最初にいいなぁと思ったのはマルティン・ヘルムヘンというピアニストの演奏。
この曲は逆立ちしても弾けそうもないが、そろそろシューマンを1曲くらい弾いてみようかと思いはじめてはいる。
《森の情景》は、9曲中半分くらいは私でも何とか弾けそうな難易度だし、《子供の情景》《幻想小曲集》あたりにも何かあるかもしれない。
…ということで、「作曲遊び」は早めに切り上げて、選曲をがんばって次の曲に移ろうかと…。でも、その前に1曲は「作曲」したことにしないと…(^^;;)…。
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