チャイコフスキー・コンクール4位のルカ・ドゥバルグ(Lucas Dubarge)へのロング・インタビュー記事の勝手に和訳メモ。
読んだのは、Bertrand Boissard という人がインタビューしたフランス語の記事(7/23)を、Ismene Brown という人が英訳したもの。
※フランスに戻ったばかりのルカくんにインタビュー
※少なくとも3社の音楽代理店がコンタクト、その1社と契約予定
※Jean-Marc Luisada曰く「ルカは “the greatest musical lesson we have had for years” だ」
※以下、インタビュー(●はインタビュアーの Bertrand Boissard氏の発言)
●どうだった? 1カ月以上の超多忙なチャイコンは?
それほど大変じゃない。少し極端な状況の方が好きだし。
パリにいた時は、朝早くから働いて、午後はレッスンをして、コンセルヴァトワールの仕事に戻って…。それとは対極の生活だったけど。
辛かったのはピアノを弾いていなかった時、モスクワでは全部で3時間くらいしか弾けていない。
同年代のアーティストと会ったことを楽しんだ。ピアニスト60人、全部で200人のアーティストで学生キャンパスみたい。ナーバスな雰囲気はあった。でもすぐに、メディアの大騒ぎやサイン攻めでそれどころでは…。パリでは一人静かに…、その対極。気にならなかったけど。
●聴衆とのsymbiosis(共生、共存、共同生活)をどう考える?
聴衆とはうまくやれている。コミュニケーション能力(communicative fasility)のようなものを持っていると思う。
第2ラウンドのあと、すぐにスコアを見て反省しようと思ったら、廊下にファンが殺到…。
で、あとで録音を聴いてみたが、かなりハッピーだった。細かいミスなどはあったけど、いずれにしろ、ある種の流れがあった、ムーヴメントの感覚、モーメンタム、が最初から最後まで。たぶん聴衆はそこに共感したんだと思う。
僕にとって、第一の目的はある種の継続性を生み出すこと(the create a kind of continuity)音楽は life (生活)にとても大きな影響を持つと思う。買い物をしている時でさえ、僕はworkし続けている。休日なんて考えられない、いつも楽譜(music paper)を持ち歩いている。長距離歩く時はいつも(音楽のことを)考えている。それが望むライフスタイル(the life I want to live)だ。
他は、形を変えた活動、playing を止めて、2〜3日作曲するとか、ジャズをするとか、音楽を聴いてパッセージを記憶するとか…。やることは変わっても、僕は止まることはない。それは不可能なんだ。
●コンクールで何か変わりましたか?モスクワの演奏はベスト?
No. No. fineだったけど、特別なものがあったわけじゃない。もっとよくできると思う。
一つあるとすれば、審美的な選択? 確信を持って言えるのは、音楽をごまかそうとはしなかったこと。(I never play tricks with the music, I never try to cheat art. I live through art, for art, in art.)
いうまでもなく、僕はある種の栄光やステータスを集めようとするようなアーティストではない。僕は、今のアーティスト生活(人生)を送り続けるしかない、それはとても重要なこと。そして、モスクワでは聴衆だけでなく周りの環境との間に本当にハーモニーを感じた。とてもポジティブなエネルギー。
●Mediciの放映であなたのpersonalityが世に知れ渡ったけど、このコンクールかまたは他の方法で、あなたはいずれ世にでると思ってましたか?それともラッキーだったと思いますか?
分かりません。今はある役割にあっても、それはすぐに変わるかもしれない。ある部分の僕の解釈を嫌いな人もいるはず。僕の目的 aim は僕自身でいること、それがバランスを保つ唯一の方法です。
僕は十分に厚い殻 shell をキープしなくてはならないし、十分に真剣な取り組み work を続ける必要があるのです。十分なレパートリーをコンサートでお聴かせし続けるために。これまで脇に置いておいたものを取り上げる必要もあるし、新しいコンチェルトを学ぶ必要もあります。それは僕の使命です。
Webのコメントの波に溺れることではない。これまでやってきたことをやり続ける必要があります。
コンクールは、より快適な仕事の見通しを与えてくれました。それはわかっているし、ありがたいことです。しかし、ピアノに関する仕事とアーティストの人生の点では、今回起こったことはすべて心の中 inside にあります。
●これまでのピアノの教育などについて真実を明らかに
11歳からMme Meunierというピアノの先生につきました。彼女はピアノを離れても素晴らしい人で僕の情熱に付き合ってくれました。当時、ロマンチックなレパートリーにのめり込んでました。リストのハンガリー狂詩曲などです。弾けませんでしたが、そこから何かを取り出すために夢中でした。彼女は、厳格に、入門コースを押し付けるのではなく、遊びたわむれるままにしてくれたのです。
この11歳から15歳の期間は人生で最も幸福な時期でした。音楽しかありませんでした。
●でも、Mme Meunierはピアノ技術の基礎も教えたのでは?
No!重量をかけて弾くこと、手首を緩めること、スケールではシステマティックな指使いをすること、をライトモティーフのように繰り返し繰り返し言ってました。が、まったく聞き入れませんでした。彼女はそれを見て、先生であることをやめ、偉大な音楽の友になってくれたのです。
●では、音楽の理論は?
コンピエーニュ( Compiègne )コンセルヴァトワールで、1年で学びました。私が学んだのは作曲家たちと偉大な演奏家( interpreters )からです。プロコフィエフとラフマニノフの音楽をダウンロードして、ヘッドホンで聞きながらその音楽に身を浸していました。
●アカデミックなトレーニングはいつから?
20歳の時に、Rueil-Malmaison Conservatoire の Rena Shereshevskaya にたどり着きました。いま、パリの the Ecole Normale de Musique で彼女の元で働いています。
●ということは数年で(※ルカくん24歳)今のあなたに、少なくとも技術的にはなったということですよね。それは凄いこと…
もっと自分自身鍛えなくては(より強く確固たる…)、ということです。この数年は、一日中テクニカルな練習だけをやった期間もあります。同期 synchronisation の能力は高いみたいです。右手と左手で別々のことをやることは簡単にできました。一方で普通のスケールは弾けませんでした。
●3年間ピアノに触れなかったというのは本当ですか?大学での文学の勉強をしている間?
その通りです。たまにパーティで即興で弾くくらいで、16歳でピアノを弾くのはやめました。代わりにベースギターを弾いてました。
●スーパーで働いていた?
2年間パートタイムで、yes.
●プロコフィエフのソナタ第3番のような難しい曲を聴いて覚えたというのは本当?
Yes. 天才というのではなく、集中と忍耐の能力です。バルザックは一度読んだだけで一冊の本を丸ごと覚えたそうです。
ラフマニノフの第3協奏曲を、音符一つ一つを覚えるのは不可能です。15,000の音符があるのですから。synthesis(統合?)能力が必要です。音楽はイメージの中、効果 effect の中にあります。僕はすべてを耳から学びます。
●楽譜を見る前から?
耳から学ぶ時には、聴いて、楽譜を見て、ピアノなしで心の中で…。僕のゴールは、ある種のモーメンタム momentum 勢い・推進力、つまりオープニングがあって、最初から最後まで弾き続けることができる状態をクリエイトすること。
魂の持続(a continuity of soul)。あたかもその音楽が genetic programming 遺伝子のプログラム?のように、自然になること。それはほぼ精神的なもので、身体の延長として。
それは、最初にピアノに触れた時から探し続けている何者かです。僕にとってそれは完全に自然なことです。僕に特別なものがあるとすれば、それかもしれません。
●これからどうする? 今の先生と一緒に働き続けるの?それともコンサート活動に身を投じる?
僕は今の生活が好きです。友人と一緒に過ごし語り合う生活。旅行もすきです。これらは必要なのです。何時間も窓のないスタジオでピアノの前に座り続けることはできません。
●まだやること work がたくさんあると?
膨大にあります。目の前には長い長い道があって、それにトライしなくてはなりません。Renaはその仕事にコミットしてくれてます。
●Renaは教師以上?
Yes. 教師-生徒以上の関係です。彼女はアーティストで、音楽への愛にあふれています。
●いまパフォーマーとしての使命を感じていますか?パフォーマーとしてのあなたの役割、目的は何ですか?
”To not stop the music.”(誰の言葉か知りませんが)。
音楽を邪魔しないこと、音楽を欺かないこと。音楽が流れるようにすること(to not obstruct the music, to not betray it.to let the music flow)。
なぜなら、音楽は巡回するもの。予め決まった目的地があるとは思いません。それは経験の問題です。その中のある地点ではある始まりがあるかもしれないし、ある人たちが運び手になるかもしれない。それは、職業的アーティストを予言するものかもしれない。
僕は大きな責任を持っていると感じています。interpreter として、膨大な数のピアノ・レパートリー、数千の傑作を持つことに。
ただ、作曲家よりも作品の方が重要だと思う。音楽(作品)は作曲家よりも上にあります。でなければ、それらは時を超えて今に残っていないはずです。
例えば、現在ほど良いモーツァルトの演奏はかつてなかったと思います。50年前にも(クララ・ハスキルはいましたが…)、19世紀にもなかったはずです。いまや、細心の心配りによってダイヤモンドのような輝きが一つ一つの音符に注がれています。
他方で、ショパンとリストの音楽については、我々は飽和点に達していると思います。いまや井戸は空っぽ。何か新しいものを引き出すリニューアルが求められています。
●ラフマニノフも飽和しているのでは?メトネルは?
そうですね。でも、ラフマニノフの第4協奏曲はそうじゃない。プロコフィエフの第1番も偉大です。ラフマニノフの1番も。
ラフマニノフの4番は、切れ目がはっきりせず、一方の端からもう一方への流れのような感じです。これを聞いた時、東洋の気だるさのようなものを感じました。ボードレールの詩のような。何か高貴な、ゆったりとした、かぐわしいもの。それが30分も続き、どこへ向かうかわからない。何か崇高なテーマが通り過ぎ消えていく。
●たくさんのコンサートのオファーが来てますね。新しいレパートリーやコンチェルトの問題が出てきますが、どういう方向にいくか、何か決めていますか?
この質問は僕をとてもハッピーにしてくれます。
スカルラッティのソナタをやりたいと思っています。スカルラッティは好きな3人の作曲家の一人です。あまり弾かれないソナタを考えてます。
第2ラウンド(メトネルとラヴェル)でやったような、あまり知られてない曲と有名な曲の組み合わせでやりたいと思ってます。スカルラッティをやるとすれば、誰もやったことのないアイデアを見つけて、それをシェアしたいからです。
ベートーヴェンの最初の7つのソナタもレコーディングしたいと思っています。シューベルトも魅力的です。SofronitzkyのD960(最後のソナタ)の演奏を聴いたのですが、未来(the future)でした。誰もあんなふうには弾けないでしょう。Sofronitzkyがやり残した作品に取り組みたいと思います。
うぬぼれと思われなければいいのですが…、ただやってみたいだけなので…。
シューマンとブラームスはあまり身近な気がしません。なぜか分かりませんが。ブラームスの第1コンチェルトは唯一の例外です。
他にはシマノフスキーのソナタ第2番は弾かなくてはと思ってます。彼も好きな作曲家の一人です。あまり弾かれないのですが、リヒテルは弾いてます。スクリアビンを弾くとすればソナタ第8番です。
●(スクリアビンの8番は)最も長くて、一番弱いという人もいる…
それは、(良い?)演奏があまりないせいです。
その他、Samuel Maykaper (ロシア、子供向け作品、great piano sonata in Cm)もいい…。Liadov、Balakirev(B♭mソナタ)、Medtner(Sonata Romantica)も…。
●メトネルのソナタを13〜14曲知ってるというのはほんと?
明日弾けと言われても無理だけど、全曲レコーディングするのは夢です。全曲よく知ってます。好きなレパートリーの一つです。
●シェーンベルク以降はどう?
シェーンベルクは好きな作曲家の一人だけど、ベルクとウェーベルンは今ひとつ…。ベルクでいいと思うのは Altenberg Lieder。
シェーンベルクのピアノ作品は好きです。荒っぽくて harsh 冷たいという人もいるけど、そうは思わない。シェーンベルクには情熱があります。
でも、一番好きなのは弦楽四重奏曲で途中からソプラノが加わるやつ。素晴らしい!すごい作曲家で、バッハのようなプレリュードとフーガを書ける数少ない作曲家の一人。
●メシアン、リゲティは?
メシアンは…あまりいいと思ったことはない。
●オーケストラや室内楽も聴くんだね。
ピアニストの友人と話していてがっかりするんだけど、彼らはショパン以降のピアノ音楽さえ知らないんだ。
オペラは十分に聴いたとは言えない、交響曲的なものはそんなに好きではない、むしろ室内楽が好み。室内楽作曲家のRoslavets は天才だと思う。
●コンクールのこと戻って、ちょっと驚いたことがあるんだけど。君は弾き始める前に、かなり時間をとるよね。何か特別な状態になるのを待ってるの?ラヴェルの Ondine の始まりの時のように、心の中で理想的な音を作り出そうとしているの?
これはとても重要なこと。画家が白いキャンバスを前にしたり、彫刻家が生の素材を前にしたときのように。静寂が音楽家にとっての素材 raw material なのです。
ピアノ自体はひつぎみたいなもので、何かメカニカルなもの、特別の思い入れはありません。この大きな機械に命を吹き込み始めると、音楽が立ち上がるのです。
コンクールの何人かの競技者が、すべての音符を正しいテンポで、正しいニュアンスで、完璧に弾くのを聴きました。でもその音には生命がありませんでした。ピアノの音は聞こえても、音楽は聞こえてきません。
●尊敬するピアニストは?
ギレリス、リヒテル、ホロヴィッツ、解釈(演奏)の温かさが極上です。
グールドも尊敬します。演奏家としてだけでなく、哲学者として。彼は、mental capacity や levels of consciousnessを増やす方法を見つけた。(精神・知の器を大きくし、意識の高さを高める)一種の僧侶、賢人です。
ポゴレリッチも好きです。フランス人では Marcelle Meyer (1897-1958)。他にも、ツィメルマン、ソコロフ、ベレゾフスキー、…
●アルゲリッチは?
Untouchable!
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